事例検討会 時々ブログ
2014.01.18
第2回 検討会 ~「迷惑」ということ~
今回はFacebookでつながりのある方の投稿を引用させて頂きます。掲載のご許可を下さり、ありがとうございます。
車椅子ユーザーの方から問題提起していただきました。社会における行為の「迷惑」について、
以下の文章はその方が書いてくださったものです。ご一読の上、
本題です。 クラシックコンサートの会場に赤ちゃんを連れてきて
(今回の議論とはこれのこと→https://www.facebook.com/
僕にも「車輪の一歩」と同じような苦い思い出があります。それは
会場は混雑するので一般車は進入禁止で、タクシーで近くまで行く
降りる時にも「砂が付いているといけないからよく拭いて行ってく
ませんでした。
タクシーの運転手にしてみれば僕達だけが客ではなく、次に乗る客
二つのケースのどちらも僕達が「迷惑」をかけてしまったのでしょ
「迷惑」と一概にいっても、「迷惑」と感じる行為を「行う側」は
「迷惑」の許容範囲は何処までなのか、若い方達でもう一度考えて
ーーーーー
「車輪の一歩」はこちらを参照ください。
http://plaza.rakuten.co.jp/
以上になります。様々なところで行われている議論もこのように集めていきたいと思います。Facebook上で行われていたコメントのやり取りを以下のコメント欄に記載させて頂きます。また、他にもコメントがありましたら頂けたら幸いです。
コメント
きれいごとバンザイです!
- 2014.01.25 11:17
- 管理者
日本はなぜこんなに余裕がない状態になってしまったんですかねぇ。
こころに余裕のある社会をつくりたいですね。他人まで思いを馳せる余裕がないと、自分だけがいい、自分だけ助かればいい、自分だけが・・・ってなってしまいますもんね。
それだけじゃない。お金に関しても、これだけ払ったんだから、これだけのことしてもらって当然だ、とか。
おんなじ人間同士なんだから、ちょっと目を合わせて微笑むだけで、ごちそうさまっていうだけで、ありがとうっていうだけで、気持ちよくなれるのに。
- 2014.01.25 11:16
- 管理者
海外に住んでいたとき、街に障害者の方が普通にいるのがすごく良いな。と思っていました。最近日本でも増えて来たと思っています。
海外と日本の違いは相手が困っているときに普通に手を貸すことだと思います。
これは、障害者だけでなく、重たいものを抱えている女性、ベビーカーでバスにのるお母さんなどにも同じです。バスではどこからともなく、力持ちの男性や時には女性子供そしてドライバーが手を貸してベビーカーや車いすを上げ下ろしする姿を何度も見ました。
ポイントはそれによって自分の時間やバスが遅れたりしても、みんな気持ちにゆとりがあるのが、違うかな。と思います。
そんな急いでなければ、みんな気持ちよく過ごせるのかな。と。
相手のことを思う気持ちは欧米より日本人の方が考える気質だと思いますので、その他大勢のことを考えて迷惑と思ってしまいがちな頭を、車いすの方の気持ちになって、とシフトすれば良い社会になるのに。と思います。
私も平塚に住んでいるので、七夕を見れなかったという話を聞いてとても残念です。
きれいごとばかり書いてしまいましたが、一意見として。
- 2014.01.25 11:16
- 管理者
本議題の元Facebook上にてコメントがございましたので引用いたします。
議題者様よりコメントを頂きました。たくさんの方々がコメントしてくださったことに感謝の気持ちと、一層の理解をしていただきたいという気持ちから以下の文章を頂きました。転載いたします。
ーーーーー
FBに慣れていないのと、遅筆なためもう過ぎた話になってしまったかもしれませんが、誤解されてはいけないので、自己弁明も兼ねて補足させていただきます。
「障害者イコール「迷惑」という枠の中で考えてほしくないのです。僕の書いた例は「車輪の一歩」と言う昔のドラマの話が出たので、自分の体験を書きました。バリアフリー法・ハードビル法が広く認知された、現在の社会とは「障害者」に対する受け止められ方は当時と大きく変わっております。
「迷惑」と言う言葉を介して伝えたかったことは、自分の穴の中からものを見るのではなく、自分が相手の立場に立ってもの事を見ると大きく変わるということ。そのゆとりを持つことで自分も社会も大きく変わって見えるのではないかと言うことです。
その「こころのバリアフリー」が、まだ目に見えぬ大きな障壁となり、ときに「迷惑」と言う誤解を生むのかもしれません。
想像してみてください。大災害が起きたあの極限の世界で、障害者・お年寄り・妊婦・外国籍・ペットはどのように避難すればよいのか、避難所の不住な中では「迷惑」になってしまうのでしょうか。もう一度考えてみてください。
助けるのは法律でもなく「近隣のつながり」だと信じています。日頃からつながりがなければいけません。当事者である僕達も積極的に社会へ参加し、つながりを持つ努力をしなければと自戒しております。
- 2014.01.25 11:14
- 管理者
ほんと、障害のあるなしじゃないですね。相手への配慮です。相手の立場を想像できること。常にそういう余裕を持ちたいですね。
- 2014.01.25 11:12
- 管理者
日本人の「人に迷惑をかけることを恥」とする文化の結果なのかなと思いました。人に依存せずに生きている人なんていないんですけどね。
まだまだ現在も、「車いすユーザーが、会場やタクシーに電話をして」気を遣う世の中なのかなと思います。誰でもいつでも気軽にというほど社会が成熟していない感じがします。
- 2014.01.25 11:12
- 管理者
想像力ですかね。相手が今どういう状況なのかというのが想像できると、このような対応はしないでしょうね。
その意味では、○○さんがいうように、どういう難しさがあるのか、ということを知るのはひとつの手段かもしれませんね。
- 2014.01.18 11:00
- 管理者
この話を聞いていて、実家で、四十年くらい前に母の職場の小児施設がお盆で閉まる期間に離島から入所してた子が家に泊まりに来てたのを思い出しました。自分も離島の出身者だった母が、招いていたのだろうと思います。そして、今の自分には、同じことはできないなあと感じる理由が何なんだろうとぼんやり考えております。
- 2014.01.18 10:53
- 管理者
車椅子のパートナーをもつものとして、
人ごみのリスクはお互い様です。
車椅子の側からすれば、携帯をいじりながら歩く(急に立ち止まる・急にスピードダウンする)人が多くなり、普段のショッピングでさえ、気楽に進むことができません。・・・
- 2014.01.18 10:53
- 管理者
議論が白熱する中で、~さんの問題提起は、「迷惑の範囲」なのかなと思いました。
迷惑はどこまでかけて良いのか、どこまでが許されることなのでしょうか。
個人的には範囲の問題ではないと思うんですが。
- 2014.01.18 10:52
- 管理者
そう、その通りですね!情けは人の為ならず、ですよ。人への思いやりの行動は、直自分の幸福度をあげます。がんばります!
- 2014.01.18 10:51
- 管理者
なんかブレイクスルーな意見ですね!
確かに、そういう周囲から批判をあびないよう守られるといいですね。これって、いじめの心理と似てますね。いじめっこを守ろうとすると、自分がいじめられるから干渉しない。あるいは一緒にいじめる。という行動になりますもんね。
でも結局は、その周りの人もそういう行為が良いという認識であるというのが前提ですね。
…でも、更に考えてみれば、今の社会であれば、理不尽な対応をする人に対して不愉快に思う人も増えてると思う。そう考えると、勇気ある行動をした人に対して、周りの傍観者が讃える、というのはありかもしれないですね。
- 2014.01.18 10:50
- 管理者
すいません、訂正です。医療・介護業界以外の人と話す時にです。
- 2014.01.18 10:49
- 管理者
あり得ないですけど、これが現状ということでしょう。
車いすの方が日常の社会と疎遠になっていること自体が課題だと思います。その副産物が彼らのデリカシーのない発言に繋がったのでしょう。
そう考えると個人の問題より社会の問題と捉えるべきでしょう。
医療・介護業界の人とこの問題を話す時にはハンディを持つ方との接点がなく、そのことが課題だという意見がたいてい上がります。
我々はそのことに対するビジョンを出す必要があるのだと思います。
互助ではなく、互恵関係の構築が必要でどうwin-winを作るか。それに対して発信が必要と考えます。
- 2014.01.18 10:49
- 管理者
模範解答は避けて書きます。とかく倫理的な発言をしたくなりますし。
ひとりひとりの対応の悪さ、てはなく社会的な障害者の受容が足らないせいだと思います。だからこそ、ひとりひとりの対応が冷たくなります。
長くなりますが、もう一歩踏み込みます。現状、人混みの中を車椅子で移動することはリスクです。そして車いすが乗ることは汚れにつながる、と仮定します。
だとしたら、その人へサービスする人は誰から守ってもらえるのでしょうか。車いすで人混みの中で障害者が怪我をして「その方の判断でしたことです。それに忠告しなかった人に責任はありません」と許可した人を守ってくれますか。汚れたシートを「障害のある人をつれてあげたんだ!いいね!OK、おれが掃除してあげるよ」と、お客が言うのでしょうか。
僕はこの方が気持ち良く外を出歩けるといいなと心から思います。だからこそ、冷たい対応をした人でなく、暖かい対応をした人へのサポートが足りなことを指摘したいです。
障害のある人が乗って、バスが遅れて遅刻して上司に自分が怒られるとしたら、 それはイライラぜったいしますもん。
俺、例えば障害のある人に席を譲ったお兄ちゃんに席を譲る若者!なんてのがいる社会にしたいと思うんですよね。
個々人の障害者への理解度、の問題にするのはぎりぎりまで避けるべきだと考えています。
迷惑ではないですが、サービスした人の負うリスクはゼロではないと思います。リスクではなく特典が与えられる社会にしたいですねー。
この書き方で伝わるといいなぉ。
- 2014.01.18 10:48
- 管理者
そうですね、今ならそうかもしれませんね。
~さんも、バリバラに言及されていて、今の障害者は普通の人たちと変わらない精神があると。
でも、私はまだそれは一部のことだと思います。
- 2014.01.18 10:46
- 管理者
そうですね。迷惑かけるな、というのも、ある人にとっては他者に対する正義感から来てるのかもしれないですもんね。
やはり、これまでの分断された環境が人々をカテゴリー化して想像することを停止させているのかもしれませんね。
関わる経験があれば、やはり相手の理解になりますもんね。
- 2014.01.18 10:46
- 管理者
それも方法としてひとつあるかもしれませんね。バスやタクシーも、研修など受けるようになりましたよね。
ただ私は対応の仕方を知る以前のことのようにも感じます。
- 2014.01.18 10:44
- 管理者
「車椅子なのでご面倒をお掛けしてすみません」,「いえこちらこそ狭い車ですみません」・「こちらこそ通路が確保されておらずすみません」という感じにいまだったらなるのかなあ,と思いながら読みました。
- 2014.01.18 10:44
- 管理者
ハンデのある方のおかげで、その街の不備に気づいたり、助け合ったその中で共に楽しい事を共有する事のほうが、ただの祭りや花火大会ではなくなる喜びももらえるものだと、知らないから「迷惑」になってしまうだけなんだと思えてなりません。
どんな立場の方たちとも、支え合って共有することの大切さや素敵さを、どうやったら伝えられるか…というのが、最近の私の課題でもあります。
「迷惑」や「正義」って、とかく一方通行的なところが強いですよね。どういう立場に立って言っているのかをわきまえないと、一歩引いて見ただけでも、それが単なる「エゴ」であることに気づくような場合も多いのではないか…と思います。
- 2014.01.18 10:43
- 管理者
偽善でなく。相手の立場に立ったら…お互いに譲り合う気持ちが大切だと私も思います。世の中自分の都合で回っているわけではないのに。
- 2014.01.18 10:43
- 管理者
「迷惑」ってなんですかね。
今回の例では、警備員と運転手が「知って」いればこのような気持ちにさせずに済んだのでしょうね。
何を知るか。
それは、障がいがある人への対応の仕方だと思います。
知らなければ出来ない。
とても考えさせられる提起です。
- 2014.01.18 10:42
- 管理者
迷惑、というのは、なんでしょうね。
私は、迷惑をかける行為をしない、ということと、相手への配慮というのは違うと思います。自分の権利を主張するというよりも、大切なことは互いに配慮し合うことなのかと思います。
- 2014.01.18 10:42
- 管理者
Facebookでのコメントのやり取りをアップしていきます。熱い議論が行われていました!!
30年くらい前と言わずとも、私はあるバイト先の店長が、「車椅子の人はバスに乗る時は、朝の混雑時は避けて時間をずらすべきだ。みんなが迷惑よ。」と言っていたのを思い出しました。
特に意地悪な人でもなく、サバサバした面倒見のいい70前くらいのおばちゃんでした。
まだリハの学校に行く前のことだったのですが、自分としては、そんなことを思う人などいないと思っていただけに、かなりカルチャーショックを受けたのを覚えています。
私の常識は他人の常識ではないんだな、と実感しました。
~さんのような人たちが必死になって、今の社会をつくりあげてきたのだろうな、と思います。まだまだ私など甘ちゃんだな、と思いました。
- 2014.01.18 10:41
- 管理者
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