3 白川郷の籠の渡し
白川郷の5ヶ所の籠の渡し
庄川の流れが強く橋を架けることが困難な場合、両岸が高く川幅が広い地点に「籠の渡し」が造られました。
明治時代(1868年~)になると、まもなく橋に架け替えられました。
1、籠の渡し「小白川~越中」
2、籠の渡し「椿原~芦倉、有家ヶ原」
3、籠の渡し「荻町~荻町字小呂」 明治10年(1877)頃籠の渡し廃止。明治25年(1892)までに釣橋架設。
4、籠の渡し「大牧~荻町」 5ヶ所の籠の渡しのなかでは、のちに架けられたそうです。
5、籠の渡し「牧~長瀬字貫見」
陸の孤島、白川郷荻町合掌造り集落が残った理由
荻町は昔、普段通行する「白川街道」から外れていて右岸に位置し、庄川右岸の荻町に渡るには当時、籠の渡しが
1ヶ所しかなく交通の便が悪く、荻町は隣村との交流がない集落のように思われており、閉ざされた集落、取り残された
集落と言われてきました。
白川郷の冬は外界と完全に通行が遮断することも幸いして、右岸に位置する不便さに取り残された荻町集落は
昭和になり、白川村で切妻合掌造り民家が取り壊されるなか、保存運動もあって荻町集落の合掌造り民家の多くを
残すことに成功したのです。
白川郷は山奥のまた奥、そのまた山奥の田舎に、突如目の前にポツンと現る合掌造り集落が時代錯誤を感じ
させることから、昭和に「陸の孤島、白川郷(荻町合掌造り集落)」といわれるようになったのです
白川郷の荻町集落豆知識
昔は、右岸荻町集落に「籠の渡し」でしか渡れなかったんだって。
車で行けなかった、昔の右岸「荻町集落」のひっそりとしたたたずまいを想像してみよう。
画像はカシミール3D、国土地理院発行数値地図25000地図画像及び、数値地図50mメッシュ標高を使用