慣習行事

 古くから年中行事として伝わっているものは、下表の通り、ほとんど8月盂蘭盆会の時期に集中しています。“六斎”念仏という名前ですが、既に江戸時代初期頃から「六斎日」(毎月8、14、15、23、29、末日)とはあまり関係なしに行われてきたようです。盆踊りの流行にも見られる通り、六斎日よりもお盆の風習の方が一般に広く定着したことを象徴する現象でしょう。一説には、農閑期と重なるから皆の活動がしやすかった、という利点も指摘されています。

行事 場所
8 9 精霊迎え火(しょうらいむかえび) 壬生寺
13~15 棚経(たなぎょう) 各所
16 精霊送り火(しょうらいおくりび) 壬生寺
23 地蔵盆(じぞうぼん) 各町・壬生寺
10 15 十夜講(じゅうやこう) 壬生寺
精霊迎え火・精霊送り火
壬生寺東門

 壬生寺では、8月9日から16日までの盂蘭盆の期間、万灯供養会(まんとうくようえ)と称して本堂前面が灯篭で満たされます。これの初日が「精霊迎え火(しょうらいむかえび)」、最終日が「精霊送り火(しょうらいおくりび)」であり、その両日に壬生六斎念仏踊りが奉納される慣わしです(現在の奉納は9日のみ)。

 かつては、本堂上北東角(上手。向かって右の角)の張り出し部分にて行っていましたが、昭和37年(2622年・西暦1962年)に本堂が焼失してからは、本堂正面にこの時だけ設けられる特設舞台上で奉納することになり現在に至ります。

 時間は、午後8時頃から。全曲通しで行います(一山打ち)。約1時間半程です。

 また、平成17年(2665年・西暦2005年)からは、地元小学校である朱雀第三小学校のクラブ“六斎キッズ”の発表会が、奉納に先立って実施されています。こちらは午後7時半頃からです。壬生六斎念仏講中の有志が、六斎キッズに指導をしている関係です。

 なお、雨天時は境内壬生寺会館2階(壬生寺保育園の上、狂言堂の向かい)で奉納します(下の写真右側)。本堂に向かって右手の建物です。奉納の際は灯りが点いていますので、階段を上がってそのままお入り下さい。体育館のようなフロアに折り畳み椅子が並べてあり、そちらにお掛けになってご覧頂きます。

万灯会
雨天時壬生寺

〈壬生寺精霊迎え火奉納の様子〉

棚経

 地域の家々を巡って、各門口で一曲ずつ演目を奉納していく行事です。この時お納め頂くお志によって、講中の活動が維持されます。この行事は、僧が檀家回りをする同名の慣習より転じたものと思われます。

 流れとしては、まずドラ(大きめの太鼓)を一定の拍子で打ちながら家の人にやって来たことを知らせ、その後、大抵は土間(入口付近)で太鼓ものの曲、例えば、「海士(あま)」のオモテかオク、あるいは「四季(しき)」などを演奏し、終わるとすぐに「結願(けちがん)」で締めるというものです。講中にいる子供の家ではその子が主役になる「四ツ太鼓」を、まれに広い座敷に通された折には「祇園ばやし」をやったりもします。

 最も多い時には、一日に5~60軒を回り、帰ってくるのは真夜中になったとされます。

※時代の変化に影響され、残念ながら休止することの方が多くなった行事です。

地蔵盆

 各所の地蔵盆(主に近畿地方で行われている子供のための盆行事)でそれぞれ一山打ちをし、最後に壬生寺でも一山打ちをするという慣わしです。

 一日の間にいくつもの地蔵盆を巡るため、壬生寺で奉納する時には真夜中になるのが通例ですが、それでも寄せ太鼓を打つとぞろぞろと人が集まってきて境内は賑わったといいます。

※残念ながら長らく休止している行事です。

十夜講

 壬生寺にて、念仏鉦のみを用いて鉦曲を唱和し、空也上人と祖先に祈りを捧げ、また本年の無事を感謝する慣わしで、これをもって当年の六斎を終了します。行事自体は1時間ほどで、その後は足洗い(反省会)となります。

 この行事は、壬生六斎念仏講中と壬生六斎念仏鉦講衆(芸能ではなく元々の六斎念仏を行っている団体)との合同で執行されるもので、六斎念仏本来の信仰的側面を有するものです。

 内部の行事の為、一般の方はご覧頂けません。

※鉦講衆の活動が廃れて以来、この行事の目的で参集することはなくなりました。

山崎聖天 花祭り
山崎聖天さんでの祇園ばやし

 伝統的慣習行事にはまだ至りませんが、ご縁あって山崎聖天観音寺さんのお花祭りに毎年参加させて頂いております。こちらでは一山打ちをさせて頂けるため、講中にとり大変ありがたく、また貴重な場となっております。

 例年4月上旬日曜日午前11時頃から聖天堂前特設舞台にて奉納を致します。(下の地図で印のついている所がお寺です)

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