南米ブラジル 日本語教師 元研修生 OB/OG会 達磨会 森脇礼之 だるま塾塾長

対談 実業家 飯島秀昭氏 & 日本語教師 森脇礼之

自分の生活経験とまわりの人間を大切にする。人間として基本的な態度が移住者の文化を異文化で「生かす」哲学を学んだ。

対談日:2006年10月26日

飯島秀昭氏:美容院チェーン蒼鳳(SOHO)社長。1950年、埼玉県出身。日本で美容師として10年間、後半5年は東京原宿に勤務。長年の海外生活への夢に動かされ、1979年、家族を連れて渡伯、サンパウロに定住。82年9月に美容室第1号店を出店。「従業員と夢を共有」し、「いい仕事を安く提供すること」をモットーに、美容室SOHOの支店を拡大。現在、23店舗、アカデミー(美容学校)2校がある。「掃除の会」やボランティア活動を通じた社会貢献を思い、ブラジルでの使命を考える。50歳。 

森脇礼之氏:日本語学校だるま塾塾長。1934年、島根県出身。浄土宗の寺に生まれ、僧侶の資格を持って1962年、27歳で渡伯。日伯寺日本語学校、カショエリーナ日本語学校、アニャンゲイラ日系クラブ日本語学校を経て、1986年だるま塾を開く。日本語教育に専念し、1970年代からは日本語普及センター研究部でテキストづくりに取り組む。だるま塾設立後も独自に研究を続け自身の手によるテキストを完成しつつある。日本文化への造詣も深く、和凧づくり、獅子舞、餅つきなどの文化活動も行っている。異文化における日本文化の存在意義を考え、また、見栄や欲望から離れた人間のあるべき姿を模索する。 

「洗濯にだって哲学があるはずだ」

飯島: どうしてブラジルへやって来たんですか。 

森脇: 私が日本を出た頃は高度成長期。金銭的な価値を追いかけていた。自分のような人間はここではダメだなあ、と思った。 

飯島: 今の日本の若者はとんでもないことになっている。日本の今の教育とオレの教育はここが違う、というところはどこですか。 

森脇: 日本では教育といったら、学校、勉強ですが、僕は教育なんていうものは、僕は教育なんていうものは、もっと泥臭いものだと思う。 

今の子どもは、生きる基本を知らない。魚の採り方を知らない。ドボーンって海に飛び込めないんだな。例えば、洗濯哲学なんてものもあるはずで、それを子どもは親から学ぶ。知識というのは知恵に変わるし、知恵というのは、恩なんだ。そういうことを知らないと人を尊敬できない。そのことに親は気がついていない。今はブラジルでも親は子を学校に連れてくればいいと思っています。「お願いします」って、ポンと子どもを置いていかれた時は、これでいいのかな、と感じますね。 

飯島: 私はそういう生活の経験が大事だと、あまり気がついていなかった。団塊の世代にあって、小さい頃にはあれがなかった、これがなかった、という思いばかりが残っていて、子どもにはこんな思いをさせたくない、と考えていた。それで、大分働いて稼いでいたのだけれど、ある日、自分の子どもに「オジさん」と呼ばれた。その時に、このままじゃまずい、と思いました。 

森脇: あくまで教育の基本は生き方を学ぶということ。音楽教育だとか、情操教育なんて、頭の上にのせた帽子だよ。例えば、ファベーラの子どもはご飯もまともに食べていなかったり、裸足で歩いていたりする。そういう子どもには1+1を教える前に飯を食わしてやらなきゃいけないし、靴をはかしてやんなきゃいけない。日本の教育は順序がひっくり返っているんだよね。 

「ブラジルの日本語はブラジルのためにある」 

飯島: 私は、これだけ世界がビジネスで動いているというのに、ビジネスでどう生きるかが教えられていないことに不満を感じます。先生はブラジルの環境で日本語教育をするにあたって特に考えていることはありますか? 

森脇: 今まで一世の教師はコロニアでの日本語教育はあくまで「国語」として日本の国語の教科書を使ってやっていた。しかし、私はブラジルでの日本語教育は国語じゃなくて、外国語教育だと考えて文法を一から教えている。いくら日系人でも三世の時代になって、環境が整っていないのに「国語教育」なんて無理な話なんだ。ブラジルでは、日本語はあくまで外国語。 

飯島: 森脇先生にとってブラジルで日本語を教える意義は何ですか。 

森脇: 私はブラジルの歴史というものを考えるんですよ。ブラジルという国はまだまだ歴史の浅い国ですよね。そこへいろんなものが流れ込んでる。チエテ川と一緒でね(笑)、ひとつの流れだけだと滞って汚い水がたまっちゃう。川にはいろんな水が流れ込んでいた方がいいわけで、そのほうがきれいな澄んだ流れになる。言葉も同じこと。ひとつの国でも、いろんな言葉があったほうがいい。ブラジルにはポルトガル語の他にドイツ語、イタリア語、日本語といろいろある。それらが混ざると非常にいいものができる。私はそういう意味でブラジルの歴史づくりに参加しているんだ、というつもりで仕事を続けています。 

 だから、本当は移民資料館もブラジルの移民の歴史を見せられるように、イタリア系やドイツ系一緒につくれば良かった。今までの日本人会は頭が硬くてそういうことができなかった。 

 いずれにしても、わたしの仕事は金は儲からないけどね(笑)。儲からなくなったら餅でもついて売ればいいじゃないですかね。生きていければいいんですよ。 

飯島: 日系コロニアでも日本語が世代を経て伝わらなくなっているし、学習者も減っていっている、といった一見ネガティブな状況がありますが。 

森脇: これからはエキスパートをつくらなくてはならない。日本語のエキスパートをつくって彼がまた、他へ伝える。それは日系コロニアのための日本語じゃなくて、ブラジルのための日本語。そのためにコロニアの各団体も協力して、あちこちに学校を拡散させないで、少数でも最高の教育ができる機関をつくったほうがいい。 

   コロニアのなかで伝えられている日本語が消えるならば消えてしまっていいんですよ。僕はどうやって日本語がブラジルの中で消えていくのかにも学問的な興味を持っています。 

飯島: 必要のないものは消えていい。必要性を感じてはじめてそれが「必要だ」ということが伝えられるし、それを教育にたくさなくてはいけない。日本から来た若い日本語の教師が、ポルトガル語も覚えていなかった。ここで、必要なはずの言葉も覚えられない者が、どうやって日本語を教えるのでしょうね。

森脇: 飯島さんもたくさんの社員を教育されてきた。 

飯島: 僕はたまたま美容の世界をやっただけ。で、社員教育でも、美容については30%でいい。あとは、人間性。技術を持った人間を連れて来て、必要なときだけ使うようなアメリカ型のやり方は好きじゃない。これからは腰を据えてその土地とつきあう定住型の態度が大切。日本は貧乏な国だから有るものを大事にしてきた。目の前に有るものから価値を見つけようとするんだな。だから僕は便所掃除までやらせる。ブラジル人にやらせると怒るけれど。自分の飯のかたづけまで、他人にやらせて、一体、どこに心の安らぎがあるんだ、と思うからね。 

森脇: 今の日本は自分の尻を拭くことを教えないんですよ。そういうことを知らない人間は怖いですよ。 

   ところで、飯島さんの生きるうえでの信念はなんですか。 

飯島: 自分がどうしてここにいるのか、ということを考えますね。使命感というか。俺がここで何ができるのか。俺にはもっとできることがあるんじゃないのか。自分の存在感を発揮したい。 

森脇: 私は自分の身の周りが整理できていない感じがしている。思い出してみると二十歳くらいから全然変わってない。バカブンドで、幼稚なんだ。変な構造を持ってきたなあ、と感じます。それを今からどうやって一枚、一枚剥がしていけるか。思い出すと僕が組織を出たのも捨てていくプロセスだった。色気が出て難しいけれど、これからそういう後生大事にしていたものを捨てていって本心を見極めたい。本来の人間を見極めたい。 

 人間が生きるのに大切なこと、忘れたら世の中が狂うことというものがありますよね? 

飯島: 僕は感謝が大切だと思う。自分が生きている。生かしてもらっている。食べさせてもらっている。自分が仕事やってるといっても、みんなが受けてくれてるんだから。 

森脇: 私は恩が大事だと思います。周囲を大事にすること。周りの人を大事にすること。 

飯島: 自然に感謝が涌き出るようになったらいいのだけれど、僕はまだまだだから、意識してやっている。 

森脇: 自分の力なんて本当は、鼻クソみたいなもんだ(笑)。それを誇大にしてね。俺がやったんだー、とか言って、こーんなに大きく見せようとしちゃうんだよね。 

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