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2015.05.18

アカウント乗っ取り多発!?今度はニコ生あゆみ

 

これまでことあるごとにすぐ警察や顧問弁護士を使い誹謗中傷を行っている人間を徹底的に追い詰めいていたあゆみ氏、以前掲示板であゆみ氏のスレッドを立てまくっていた人間が顧問弁護士を通じて情報開示請求をくらってスレを立てれなくさせられた件も記憶に新しいところです。でもなぜか今回の成りすまし事件に対する犯人に対する対応が違う。一体なぜなのだろうか?今回の成りすましの件は何よりもあゆみ氏の名誉を棄損する行為なのではなかろうか?

 

これはニコ生の生主あゆみが第三者の放送にて、同じく生主でタレントのももえりについての暴言をコメントしたのだが、これがTwitterの乗っ取りによるものだったという騒動。一部掲示板で話題になっている。

2015.04.15

ニコ生まこと、ついにFC2で配信 チップをこじってる模様 いそげ!!



 まことの発言「FC2で100万稼げると聞いて」

http://live.fc2.com/75051109/

 

○チップ

放送開始20分で、6000円

25分で8000

27分で10000円

30分で2万円

成果:40分で3万以上荒稼ぎ

 

ちなみにまことさんの脇の画像はこちら



2015.04.13

一瞬で平和が蘇ったジャワ島

スラバヤ無血入場 南海の楽園ジャワ全体は、我が威武の前に、ついに無条件降伏した。写真は市民のジュンポール(万歳)に迎えられてジョンバンに入る鉄牛部隊。『アサヒグラフ』(1942〈昭和17〉年48日号)

 

日本軍は、ジャワ島をわずか九日間で制圧して、オランダによる三百五 十年の支配から解放したのです。その後のインドネシアは、日本の支援で独立へ向かって様々な革命が実施されていました。

  上の写真は、バタビヤ市に次ぐジャワ島第二の都市スラバヤ市へ、日本軍の戦車隊が入城している情景です。同じアジア人が一瞬でオランダ軍を降伏させたことが、このような大歓迎になっていたことは容易に想像できます。この他の写真も、日本兵を取り囲んで、大人も子供も全員、親指を突き上げて最大限の歓迎の意思表示をしています。この親指を突き出す仕草は、インドネシアでは「ジュンポール(親指)」といって「一番良い」ことを示しているとのことです。

 

 

「ひと目でわかる「アジア解放」時代の日本精神」(著者・水間政憲)を元に、一部抜粋・改変したものです。

2015.04.13

インドネシアの蘭・米・英・濠軍は実質9日間で無条件降伏していた。



 

停戦会談を終わって記念撮影。(中央、今村最高指揮官、その右、テル・ポールテン・オランダインドネシア陸軍軍長官)。『大東亜画報』(第5号:1942〈昭和17〉年48日発行:大阪毎日新聞社・東京日日新聞社)

 

194231日、日本軍は、ジャワ島東、中、西部から上陸作戦を敢行し、同9日午後3時、オランダ・インドネシア総監督並びに蘭・米・英・濠軍(9万800人)を無条件降伏させました。上の写真は、カリヂヤチ飛行場において、スタルケンボルグ総督、テル・ポールテン陸軍長官、バッケル参謀長などが列席した、無条件降伏調印式の後の記念撮影です。

 

 ここに、3百50年間インドネシアを支配していたオランダの統治は終わったのです。

 当時、インドネシアの国民には、「白馬にまたがる英雄の率いる神兵が渡米して、インドネシアに独立を授けてくれる」との伝説が広がっていたこともあり、現地人は英国の不沈戦艦を日本軍が撃沈したことも知れ渡っていて、日本軍を「神兵」とダブらせ大歓迎してくれただけでなく、積極的に作戦にも協力してくれたのです。

 インドネシアのオランダ軍・連合軍降伏の後、終戦までの3年半ばは、青少年の教育などに、「日本精神」が全面的に発揮されていました。

 

「ひと目でわかる「アジア解放」時代の日本精神」(著者・水間政憲)を元に、一部抜粋・改変したものです。



2015.04.13

フィリピン国民が熱狂的に支持した真の独立



 

マニラ入城:昭和17年(1942)年12日午後2時、わが陸の精鋭はついにマニラへ突入す。翌3日、わが方は軍司令官布告をもって皇軍比島占領の意義を民衆に示し、軍政の基本方針を明らかにす。『アサヒグラフ』(1943〈昭和18〉年1020日号)

独立確認の栄光燦(さん)として歓喜に湧く全比島民:マニラ・ルネタ広場を埋めた民衆大会を押し出した花自動車と民衆行進。『大東亜戦争画報』(第16号:1943〈昭和18〉年38日発行:毎日新聞社

 

フィリピンがアジアの中で西洋化しているように見えるのは、米国の洗脳政策が徹底していたからだそうです。

 

フィリピンは太平洋戦争当時、第一次国民会議においてラウレル初代大統領を満場一致で選出いたしました。

そんなフィリピン民衆1800万人悲願の独立を潰したのは米国の反攻上陸でした。

 

徹底した米国の洗脳政策という点でフィリピンと日本とは同様の歴史を辿ったのだと感じました。

 

 

「ひと目でわかる「アジア解放」時代の日本精神」(著者・水間政憲)を元に、一部抜粋・改変したものです。



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