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2015.04.20

4年ぶり!インドネシア訪問報告

 2月3日から10日まで、なんと4年ぶりにインドネシアに行ってきました。

 東日本大震災があった年の2月(津波の直前ですね)に、ジョグジャカルタのブル小学校に、ひろしま・祈りの石国際教育交流財団の支援で作った図書室の完成確認のために訪問しました。子どもたちと折り紙で遊び図書室の様子を見て帰国した、半月後に東北の震災がありました。その後は、陸前高田を中心とした支援活動に入り、J2の皆さんにはたくさんのご協力をいただきました。ジャカルタでも募金活動を行い、プレハブの集会所を「和みホール‐Hati ke hati」として障害のある人の施設に寄贈しました。ひろしま・祈りの石国際教育交流財団の事業の講師、松本先生は、陸前高田でも積極的に障害のある子らの支援にかかわってくださり、両方のプログラムで、大きな力を出してくださっています。

 今回は、世界の人々のためのJICA基金から、奨学金と家庭を基盤とした障害のある子のリハビリ支援のプログラムにご支援をいただき、その進捗状況の確認と打ち合わせのためにソロに行きました。他に、ジャカルタで三輪移動図書館、幼稚園の図書室つくり(この2点は、10周年イベントの収益金事業です)の確認をしました。おりしもインドネシアは雨期、2月は洪水の時期です。三輪移動図書館の活動地のちょい先(プンチャックの先です)で土砂崩れがあったとのことで、J2ジャカルタの支援物資お届けにも同行しました。とても盛りだくさんでした。ソロでは、松本先生が中心に動かしてくださっている、現在進行中のひろしま・祈りの石国際教育交流財団のプログラムの現場も見てきました。

 ソロでは、CBRセンターで打ち合わせをし、ソロ奨学金の子どもの家と、幼児健診の会場でリハビリの必要な子どもたちやお母さんたちと話をしました。貧困のために専門施設でリハビリを受けることができない子どもたちに、幼児健診を主催する婦人会のボランティアとお母さんたちがリハビリ療法をするために研修をするというのがプログラムの内容です。今年の8月までの事業です。

 ひろしま祈りの石のプログラムや10周年イベント収益金で絵本と本箱を寄贈した幼稚園は、読書活動に積極的で、学級文庫のように園児がお部屋で読めるようになっています。インドネシアの書店でそろえた本だけでなく、私たちの翻訳グループの作った本もたくさん並んでいました。

 ジャカルタはおしゃれなカフェが増えましたが、田舎の道はがたがたでした。ソロはローカルなホテルが増えましたが、全体の雰囲気はあまり変わっていませんでした。

2015.02.28

絵本を基本にした読書と幼児教育普及プロジェクト

ひろしま祈りの石国際教育交流財団・助成金での活動報告

  以前もご紹介しましたが、ジャカルタ・ジャパン・ネットワーク(J2netでは時々助成金をいただいての活動もしています。

特に、ひろしま祈りの石国際教育交流財団には数回のご支援をいただいて、幼児教育—読書活動普及のプログラムをすすめています。

初回は、ジャカルタで立ち上げたビビット文庫へのご支援です。

10の地区で図書館ほど大きくないけれど、本棚と本という図書室セットを寄贈しました。

その後も、障害のある子の教育プログラムや、絵本を使った幼児教育セミナーなどを続けています。

ャカルタの他、バリやソロ、ジョグジャカルタでも行っています。

 2014年度はバリとソロの幼稚園に本棚と絵本を寄贈し、先生達に絵本を使った教育のセミナーを行っています。

J2netの助成金プログラムは、幼児教育セミナー、障害児教育いずれも、言語聴覚士の松本美代子先生に全面的にご協力いただいています。

以下は8月にバリでの活動について、松本先生の主宰される支援団体「子ども支援CERC」に、J2netの活動として掲載されたご報告を基にご紹介します。

  

 

 8月30日に、バリ州バドゥン県内の9つの幼稚園に図書コーナーを贈呈しました。

9つの幼稚園それぞれに、本棚ひとつ、インドネシアで購入した本が30冊、日本から持ってきた本が11冊。計41冊の本を贈呈しました。

日本からの本は99冊でしたので、運ぶのは一人ではとても困難。

バリであった学会に参加された、お知り合いの大学の先生方にお願いして運んで下さいました。

 贈呈の他に、絵本の読み聞かせのセミナーやその他のプログラムもありました。

ムンタリファジャール(バリにある障害児教育学校)がカウンターパートになってくださっています。

この学校は大変熱心な学校で、私達の活動に全面的に協力下さっています。

とともに、松本先生の指導法を吸収しようと一生懸命です。

今回もバリでの活動とテキストづくりを担ってくださっています。

プログラムには、子どものダンス、県の教育員会の挨拶もあります。

 ムンタリファジャールの先生が、幼児期に絵本を読み聞かせする意味について、本の読み方や持ち方の注意点についてお話下さいました。

そして、絵本の読み方の練習で、4人の先生方がみんなの前で読んでくれました。

みなさんとても上手に読んでくださいました。

松本先生からも「幼児期の子供たちは、絵は視覚的に取り込みますが、絵本の文章はすべて耳から取り込みます。沢山の読み聞かせの言葉に出会うことが、児童期の読み書きの学習に影響するといわれていること」の説明がありました。

 今回は「Storybook Curriculum」の紹介も大きなポイントです。

まず日本でもおなじみのレオ・レオーニ「Swimmy」の絵本の読み聞かせ、その後に、保育活動への展開の仕方を説明します。

今回は、絵画制作の活動への展開を例にしました。

赤い絵の具を使ったフィンガーペイントの活動から、手形遊び。

その手形を集めて大きな大きな赤いお魚をつくり、黒い魚が目になるように作ります。

また、「あおくん、きいろくん」のお話でも、手形遊びで楽しめることを実践しました。

黄色い手の先生と青い手の先生が握手すると二人とも緑の手に変身!その一瞬は、大人でも感動します。

具体的な活動を先生方とともに共有、共感できたそうです。

物の寄付だけでなく、お互いの交流とともに本を有効に使うための工夫の仕方を伝えることが今回のプロジェクトの大切な点。

松本先生もうまく伝わったか心配されながら、これからも修正しながら活動したいとしてくださっています。

 エピソードをご紹介くださいました。

今回、集まってきた9つの幼稚園の先生方には、「図書の寄付をします」ということは伝えていなかったのだそうです。

「絵本の研修をするから来ませんか?」と誘ったのだそうです。

ムンタリファジャールのこのプロジェクトを一緒に進めている4人の先生方が考えたアイデアだそうです。

松本先生はとても感動して、何度も「すごい!Bagus!」を連発したそうです。

 12月にはソロで同様のセミナーをしてくださり、テキスト製作の打ち合わせをしてきてくださいました。

写真はいずれも活動中の松本先生です。

2014.12.28

台風のグローバルフェスタ、ご報告

 去る 10 月 4 日(土)・5 日(日)、今年もグローバルフェスタに参加してきました。 今年のオープニングセレモニーは AKB48 のコンサート。例年とはちょっと違う雰囲気のお客様も多く訪れ、賑やかに始まりました。初日は晴天に恵まれ、来場者も過去最高の 66,450 名、J2 の売り上げも、おかげさまで過去最高を記録しました。残念ながら 2 日目は台風のため 12 時終了となり、絵本作 成のワークショップは 1 日だけの実施となりましが、絵本 8 冊(うち 2 冊未完成)が仕上がり、延べ 45 名の方が貼り付け体験にご参加くださいました。  

 

 この催しに初めて参加したのは 2003 年。まだ「国際協力フェスティバル」という名前でした。 JANNET(障害分野 NGO 連絡会)のテントの軒先にパンフレットを置かせていただき、エプロンとワイ ンバックが 2-3 枚ずつは売れたかな、というところからのスタートだったことを懐かしく思い出します。2011 年に「ジャカルタ・ジャパン・ネットワーク」として独自出店を始めてからは、活動紹介とフ ェアトレード商品の販売に加え、テント内で古本に訳文を貼り付けてインドネシア語の絵本を作るワー クショップを始めました。

 今年は絵本の貼り付け、 フェアトレードともに、新 しいことを試しました。
  絵本作成の際、例年切り 取り線に沿って切った訳 を糊で貼ってもらってい ましたが、今年はシール用 紙に印刷し、手を汚すこと なく作業ができるようにしてみました。概ね好評でしたが、台紙に切り込みが付いていない部分のシー ル用紙を剥がすのに時間がかかったり、元の日本語が透けず且つ絵本が膨れ上がらないシールの厚さは どのくらいなのかなど、まだまだ試行錯誤の最中です。今後も少しずつ工夫を重ねながら来年につなげ ていければと思っています。
 今回出来上がった絵本は、後日横浜の絵本翻訳グループ gado-gado で点検 と仕上げをした後、ジャカルタを始めとしたインドネシアの施設に寄付されることになっています。ま たその様子は、ホームページ(http://j2net.cloud-line.com/)や来年のグローバルフェスタのパネル展示 などを通してご報告いたします。 

 

 フェアトレードでは、年々少しずつサイズが大きくなってきていたり、スリットの角度が変わってき ていたものを元に戻すべく、メンバーのお義母さまにご協力いただき、標準的な日本人の体形に合うよ うに、エプロンの型紙を作成しました。ジャカルタで布製品の製作をしている知的障害児と聴覚障害児 のための学校=ヌル・アバディで、ほぼ型紙通りにエプロンを作ってくれたこと、またヌル・アバディ が選んだ布地の柄がとても素敵だったことが、今回の好調な売り上げにつながりました。

 J2 では、フェアトレード商品をただ売るだけでなく、「売れる商品」を作る指導や商品開発を積極的 に行っています。日本で販売するものに関しては、ジャカルタと日本とでうまく連携を取ることが大切 ですが、何より日本からの要望を現地で忍耐強く丁寧に指導してくれるメンバーには、頭が下がる思い です。このようにジャカルタ・日本双方で工夫を重ねながら商品化し、販売したフェアトレード商品の 売り上げは、来年度の仕入れ代を残してほぼ全額、J2 奨学金として現地に還元しています。

 また今年はフェア トレード商品に加え て、皆様からご寄付い ただいた古着や雑貨 も販売しました。特に バティックの布類は 大変人気があり、ほぼ 完売しました。ご協力 いただいた皆様には、 この場をお借りして御礼申し上げます。

 独自出店を始めてから公式パンフレットに団体名とテントの場所が載るようになり、毎年テント近く のあちこちで、懐かしい再会や、同窓会の輪が広がっています。 来年のグローバルフェスタは 10 月 3 日・4 日辺りでしょうか。また皆様の笑顔にお目にかかれるこ とを、心から楽しみにしています。

 

2014.10.21

日本在住インドネシア人あってのJ2netジャパン!

 1999 年にジャカルタで発足した J2net。駐在員婦人の集まりですから、想いとは裏腹に必ず帰国が訪 れます。2001 年には発足当初のメンバーの大半は日本へ帰国。そこで日本でも活動を続けるために J2net ジャパンができました。 

 インドネシアの子ども達の集まる現場のない日本では、奨学金支援と日本の絵本をインドネシア語に 翻訳する活動が中心となります。その日本での活動に欠かせないのが、日本在住のインドネシア人の 方々です。インドネシア語の添削を中心に今でも J2net ジャパンの活動にご協力いただいています。 

  インドネシア語の添削に始まったご協 力はそれに留まらず、国際理解教室(学 校でインドネシア文化を紹介する活動) ではジャワダンスやバリダンスを披露し てくれたり、毎年 10 月に行われる「グロ ーバルフェスタ」では積極的にお手伝い をしてくれています。そして時には、イ ンドネシア料理好きなメンバーのために、 インドネシア料理を作って振る舞ってく れています。インドネシア人主婦の皆さ んが作るインドネシア料理は天下一品です!懐かしい香りのする、愛情のこもった家庭料理は涙が出る ほど美味しいのですから。 

 私たちの活動は、日本の皆さんにインドネシアをご紹介 し、身近に感じていただくことも目的としています。そこ で昨年「インドネシア料理教室」を開講することとしまし た。その原動力となったのは日本在住 18 年の雑賀ティテ ィンさんです。ご自宅で、Ayam Semur(鶏肉の煮込み) Sup Brenebon(豆スープ) Siomai Goreng( 揚げ焼売) Gado Gado(サラダ) Bubur Ketan Hitam(黒いもち米のデ ザート)を作って持って来てくれ、当日は Gulai Ikan(魚 カレー) Perkedel Jagung(とうもろこしのかき揚げ) をデモンストレーションするという、それは豪華なお料理 教室となりました。それが評判を呼び、リピーターもでき、 J2net ジャパン「インドネシア料理教室」の土台ができあ がりました。これは紛れもなくティティンさんのおかげです。

 

 そのティティンさんが、この8月ご主人のジャカルタ転勤に伴い渡イされました。この 13 年間、翻 訳、ダンス、そして「お料理教室」を継続可能なものにしていただき、ありがとうございました。ここ に感謝の気持ちをこめて、お伝えさせていただきます。ジャカルタでの益々のご活躍をお祈りしていま す。 

 日本在住インドネシア人の方々のご協力なくして今のJ2netジャパンの活動がなかったことは十分お わかりいただけたものと思います。これからも、皆様にお手伝いいただきながら、実りある活動を目指 していきます。日本在住で、活動にご興味のあるインドネシア人の皆様、ご連絡をお待ちしています。 インドネシアと日本を結ぶ架け橋となりませんか。  jakarta-japan-network@gmail.com まで、メールしてくださいね♪


 ☆写真の説明:右上は、東京都立新宿養護学校で、重い障害の子どもたちの放課後グループ「ひまわり」で インドネシアの踊りと音楽をご紹介しました。青い衣装の右から 2 番目がティティンさん。左下は、お料理 教室の完成記念撮影。前列右から、渡辺りりさん、桶谷スハルシさん、雑賀ティティンさん。  

2014.08.20

翻訳をしてくださる方を募集します!

古いインドネシア語で書かれた文献を翻訳をしてくださる方を募集します! 

 私は、現在、東京地方検察庁で社会福祉アドバイザーとして働いています。インドネシアにいたこととは全く関係のない仕事で、司法福祉という分野です。障害や高齢等で福祉につなぐほうが更生に有効であるケースをみたて、どのような福祉につなぐかをアドバイスし、実際、福祉事務所等につなぎます。刑務所や仮釈放、起訴、不起訴といった言葉が行きかいます。日本でもこんなに貧困や苦しい状態で暮らしている人がたくさんいるのかと驚きます。

 そのような中で、私がインドネシアに関係していることを知った人から翻訳の依頼がきました。翻訳依頼といっても、依頼者自身が読んでみたい、いつでもいいというもので、全くのボランティアベースのものでした。その本は、日本占領直後のジャワ島で刑務所管理の責任者として在任した「東邦彦」という方が、ジャワ島の司法官吏養成所の現地職員への講義のために、昭和18年ごろにインドネシア語で書いた「SEMANGAT NIPPON dan tijita-tijita oeroesan pendjara di keradjaan dai nippon」という文献です。オランダのライデン図書館に1冊だけあり、それをコピーしたものが入手できたとのことです。

東邦彦は大正14年から昭和35年まで司法省・法務省で、刑務所長や矯正管区長等を歴任した人です。昭和17年に陸軍省に文官として出向し、オランダ領ジャワ島で刑務所管理の責任者として終戦まで在任し、昭和21年に復員しました。甲府や大阪の刑務所長等についていましたが、戦時中にジャワ島の刑務所で被収容者がなくなったことの監督責任で戦争犯罪者として逮捕され、ジャワ島で戦争裁判を受け、死刑を求刑されましたが、15年の重労働の判決となり、スガモ・プリズンに約6年収容されました。その後釈放され昭和35年まで法務省で活躍されました。(矯正とは、司法では罪を犯した人を治すことで、刑務所を矯正施設といいます。歯の矯正と同じですね。)

日本占領直後のジャワ島における刑務所管理は不十分だったようで、日本が刑務所管理を行うにあたり日本人専門家を配置し、司法部行政課と職員養成機関を設立したようです。軍占領地における刑務所管理は混乱がつきものだそうですが、ジャワ島では大きな混乱がなかったとのことです。占領を軍が短期間で行い、また、住民が抵抗しなかったためだそうです。印蘭時代の刑務所は植民地政策を基に、幹部職員はオランダ人、中級幹部職員はオランダ人とインドネシア人との間に生まれた者となっていたそうです。これらの幹部職員は敵性外国人として免職して、東邦彦を中心にして制度を整えたそうです。その人道的行刑(行刑とは、刑務所の中での処遇全般で、とりわけ再犯防止など社会復帰を目的とする処遇だそうです。)は、それまでの応報、威嚇、排害のみの伝統的刑罰制度から「秩序と労働への計画的教育」を主眼としたそうです。その実践のためにチビナン刑務所空地に刑務練習所を作り、優秀な現地人職員を募って研修をしたそうです。

ということで、「東邦彦」が研修のためにインドネシア語で書いた「SEMANGAT NIPPON」を訳してくださるボランティアを募ります。ぜひご協力ください!古いスペルです。インドネシアでは、独立後2回ほど文字の改正があったそうです。この文献も「Cita-cita」が「Tjita-tijita」となっています。日本語でいうと「蝶々―ちょうちょ」が「てふてふ」であらわされているようなものです。)

ご興味のあるかたも、ご連絡ください。

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