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2014.08.20

翻訳をしてくださる方を募集します!

古いインドネシア語で書かれた文献を翻訳をしてくださる方を募集します! 

 私は、現在、東京地方検察庁で社会福祉アドバイザーとして働いています。インドネシアにいたこととは全く関係のない仕事で、司法福祉という分野です。障害や高齢等で福祉につなぐほうが更生に有効であるケースをみたて、どのような福祉につなぐかをアドバイスし、実際、福祉事務所等につなぎます。刑務所や仮釈放、起訴、不起訴といった言葉が行きかいます。日本でもこんなに貧困や苦しい状態で暮らしている人がたくさんいるのかと驚きます。

 そのような中で、私がインドネシアに関係していることを知った人から翻訳の依頼がきました。翻訳依頼といっても、依頼者自身が読んでみたい、いつでもいいというもので、全くのボランティアベースのものでした。その本は、日本占領直後のジャワ島で刑務所管理の責任者として在任した「東邦彦」という方が、ジャワ島の司法官吏養成所の現地職員への講義のために、昭和18年ごろにインドネシア語で書いた「SEMANGAT NIPPON dan tijita-tijita oeroesan pendjara di keradjaan dai nippon」という文献です。オランダのライデン図書館に1冊だけあり、それをコピーしたものが入手できたとのことです。

東邦彦は大正14年から昭和35年まで司法省・法務省で、刑務所長や矯正管区長等を歴任した人です。昭和17年に陸軍省に文官として出向し、オランダ領ジャワ島で刑務所管理の責任者として終戦まで在任し、昭和21年に復員しました。甲府や大阪の刑務所長等についていましたが、戦時中にジャワ島の刑務所で被収容者がなくなったことの監督責任で戦争犯罪者として逮捕され、ジャワ島で戦争裁判を受け、死刑を求刑されましたが、15年の重労働の判決となり、スガモ・プリズンに約6年収容されました。その後釈放され昭和35年まで法務省で活躍されました。(矯正とは、司法では罪を犯した人を治すことで、刑務所を矯正施設といいます。歯の矯正と同じですね。)

日本占領直後のジャワ島における刑務所管理は不十分だったようで、日本が刑務所管理を行うにあたり日本人専門家を配置し、司法部行政課と職員養成機関を設立したようです。軍占領地における刑務所管理は混乱がつきものだそうですが、ジャワ島では大きな混乱がなかったとのことです。占領を軍が短期間で行い、また、住民が抵抗しなかったためだそうです。印蘭時代の刑務所は植民地政策を基に、幹部職員はオランダ人、中級幹部職員はオランダ人とインドネシア人との間に生まれた者となっていたそうです。これらの幹部職員は敵性外国人として免職して、東邦彦を中心にして制度を整えたそうです。その人道的行刑(行刑とは、刑務所の中での処遇全般で、とりわけ再犯防止など社会復帰を目的とする処遇だそうです。)は、それまでの応報、威嚇、排害のみの伝統的刑罰制度から「秩序と労働への計画的教育」を主眼としたそうです。その実践のためにチビナン刑務所空地に刑務練習所を作り、優秀な現地人職員を募って研修をしたそうです。

ということで、「東邦彦」が研修のためにインドネシア語で書いた「SEMANGAT NIPPON」を訳してくださるボランティアを募ります。ぜひご協力ください!古いスペルです。インドネシアでは、独立後2回ほど文字の改正があったそうです。この文献も「Cita-cita」が「Tjita-tijita」となっています。日本語でいうと「蝶々―ちょうちょ」が「てふてふ」であらわされているようなものです。)

ご興味のあるかたも、ご連絡ください。

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