ニュースレター

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2021.10.29

8月23日のインドネシアKOMPAS新聞記事

"Puluhan Ribu Anak Kehilangan Orangtua!"

「何万人もの子どもがコロナで親を亡くしている‼︎
 緊急事態宣言も発令され仕事を失った人が多い中、親を亡くした孤児が増えているのではないかと心配しています。
ジャカルタのJ2メンバーがJ2netと20年のお付き合いのある、KDM(ストリートチルドレン保護育成施設)へ寄付品を届けた時、確認してくれました。
 現在施設に居る子ども達は60人くらい。
コロナで親を亡くした子ども達も受け入れるかという問いに、
「もし、警察などからの依頼があれば受け入れる。
インドネシアでは普通、祖父母、叔父叔母が面倒をみるが、それができない場合 施設に入る。」との事でした。
子ども達の調子が悪いと抗体検査をして、隔離もするそうです。
 学校も休校が続いていた状況下で家にじっとしているとも思えず、さらに問題が広がるのではないかと懸念しています。
ジャカルタ SOSインターナショナル病院のジョハン先生から、毎日感染者状況を頂いています。
5000人台まで下がった感染者数が、今日再び一万人を超えてしまいました。
日本も緊急事態宣言期間が延長されました。
1日も早い終息を願うばかりです。

2021.09.26

マルクの子ども達に絵本を寄贈しました!

全国のTaman BacaanのネットワークNGOである1001bukuファディラ氏の紹介で、マルク州セラム島東セラム県に本を寄贈する話が持ち上がったのは4月のことでした。1001buku自体も、マルク州僻地への本の郵送は費用がかかる上、不安要素も多くなかなか実現できずにいる中で、ファディラ氏から「現地で社会活動をしている知人のユナン氏がジャカルタを訪問する機会あり、手持ちで本を運んでもらえるチャンスがあるがどうか」との打診をいただきました。J2としても、比較的絵本が流通しているジャカルタでなく、本の入手が困難な僻地への寄贈は有意義で是非やってみたいという話になり、急ぎ手続きをし20冊強の本をジャカルタの1001buku気付で発送しました。

現地までは、州都アンボンからセラム島東部の都市bulaまで船で一昼夜あるいは陸路車で16時間。そこからさらに車で4時間の道のりだそうです(google map でチェック!想像以上に遠いですし、僻地過ぎて詳細が出てきません・・・)。今回送った本は、Rumah Baca Kianlau、Lentera Walang Baca Gaur、RPQの3施設にユナン氏が手渡し下さり、無事子どもたちに届けられました。
絵本を手にとり真剣なまなざしで本を読む子どもたちの姿、愛おしいですね。今回は1001bukuの機転と尽力により、絵本を手にする機会が少ない遠隔地の子どもたちへの寄贈が実現できたことは、私たちにとっても嬉しいことであり、また良い経験になったと思います。課題は多くあり考えるべきことも多々ありますが、J2メンバーの知恵や行動力を結集し、またJ2ジャカルタや現地NGOと協力しながら、できる範囲内でまた新しいことにチャレンジしていけたらいいなあと思っています。一人でも多くの子どもたちの笑顔に会えるように!

2021.09.18

医療基金のご報告

 KDMを通じて、重い障害のあるKenzi君に医療基金として支援を送りました。今後も支援が必要な状況です。来月、募金お願いのご案内を考えています。詳細は以下の通りです。

 

現在11ヶ月のKenzi君は、MulyadiさんとImaさんの末っ子です。Kenzi君の兄は11歳で、祖母と一緒に母親の故郷に住み、勉強しています。Kenzi君は両親と、北ジャカルタのプルイトダラム地区にある1寝室の賃貸住宅に住んでいます。Mulyadiさんは、北ジャカルタにある地区で清掃夫として働いています。一方、Imaさんは主婦です。

Kenzi君が生後6ヶ月の時に医師が小頭症の存在を診断し、つまり、頭の大きさが平均年齢と性別より2標準偏差未満の状態です。Kenzi君はまた、難治性てんかんを患っており、1分くらいの間隔で1日あたり1530回のひきつけが起きています。これらのひきつけを減らすために、Kenzi君はケトジェニックダイエット用のミルクを摂取することを勧められています。

Kenzi君は1か月で15缶のケトカルのミルクを必要とし、1缶あたりの価格は360,000ルピア〜375,000ルピアです。つまり、Kenzi君のミルクの費用は月額500600万ルピアです。ジャカルタ首都特別州の労働者の最低賃金基準でのMulyadiさんの収入はKenzi君の毎月の必要なミルクを満たすことができません。(KDMの資料より。翻訳:Duvi)

2021.07.29

ジャカルタから~現在の状況

《ジャカルタから~現在の状況》

インドネシアのコロナ感染が増加し街はロックダウンしています。

J2net 関連団体に状況を聞きました。
今回はKDM(ストリートチルドレン保護育成施設)の報告です。
子どもたちのためのワクチンプログラムにより、KDMの子どもたちもワクチン接種を受けた様です。
施設の方に状況を伺いましたところ、
今まで寄付の支援をしていたプロテクト教会の外国人の方や、企業・団体の多くの人が帰国していたり活動を休止しているので、支援を受ける事が難しくなっているとのことでした。
何が必要か尋ねると、倉庫のお米の備蓄が少なくなっている様子です。
KDMでは、1日に60人分20kgのお米が必要だそうです。
J2netから、取り急ぎ3ヶ月以上は保つだけの寄付を送りました。
KDMからは5ヶ月はもちます!と喜んでいただきました。
将来ある子どもたちには、こんな事で負けずにスクスクと育って行って欲しいです❣️
ガンバレ‼️
日本からも応援してるよ〜📣‼️

2021.06.30

タリアシの様子

 タリアシの様子

 

Tali Asihは、後一年となった中学生の奨学金を一年継続する事になります。

小学生は学校が再開される日を待っている状態ですが、子どもたちが飽きて来てしまっている様です。

全ての子どもたちがオンラインを受けられるわけでもないみたいです。

 

代表のエティさんはコロナ感染をしましたが、コロナは一度治って、素晴らしいと賞をもらったらしいです。

ある村では病院から感染したらしく、家族にうつり21人のクラスターが出てしまって、警戒しているそうです。

地域行政から依頼され、隔離棟の設置プロジェクトを任されて大変忙しいとの事でした。

2021.05.05

絵本増刷活動報告

 《J2netジャパン 絵本増刷活動報告》

三井住友海上火災(株)浜松支店様から寄贈・発送いただいた翻訳絵本25冊が、現地読書活動NGO「1001buku」に届きました。
同NGOから全国の施設に配布され、各地の子どもたちに届けられます。
子どもたちに笑顔が広がりますように!

2021.04.09

2011年 東日本大震災 インドネシアからのエール

 <2011年 東日本大震災 インドネシアからのエール>

2011年3月11日
インドネシア・ジャカルタにいた私たちは我家でミーティングの最中だった。第一報はメンバーの携帯に日本からのもの。
日本で何かが起っている‼️
慌ててテレビを付けNHK(日本の番組はこれしか見られない。)を観る。
田んぼだと思われる場所を黒い水が物凄い勢いで走っている?!
アレは何?誰も理解できなかった。次々と地面が黒い水に飲み込まれて行く。その前の道に軽トラックが走っている?あの車はどうなるの?
アナウンスで東北で大地震が起こり、津波が押し寄せている事がわかった。“これ津波なの?!”
津波が田んぼを走っている!?すぐに2004年のインドネシアで起こったスマトラ沖大地震の光景とダブった。あの時もテレビの光景が信じられなかった。これは本当に今日本で起こっている事なの?
ミーティングどころではない、すぐにみんなが日本への安否確認をするが、電話がなかなか繋がらない。
それからしばらくの間、日本からの情報に釘付けだった。
私たちはインドネシアにいて、何が出来るのだろう?いつもインドネシアを見て支援の矛先を考えている。ここにいて、こんな大災害に何が出来る?この未曾有の災害を見て、ここで通常を過ごしている訳にはいかない。でも、どうやって?
出来る事は募金活動しかないのかもしれない、でもどの様に?なかなか心が決まらなかった。
震災から1週間後くらい、ある知り合いの方が訪ねて来た。日本のために何かをしたいが、支援活動の経験がなくJ2が何かを始めるなら参加したいとの事。
支援活動としてみんなが集まって話し合った事で、一気に動き始めた!
ミーティングを繰り返し、何が出来るか、どんな形なら有効に募金を集められるか?話し合った。
メンバーたちのアイデアやツテを辿って、最終的にショッピングモールでの募金活動をする事に決定された。J2外の有志も加わり、チームを組み”Hati ke Hati❣️”(心から心へ!)と名ずけ、募金活動がスタートした。Tシャツを作り販売もした。
インドネシアの方も募金活動に加わってくれた。
4月の第1週から土日と祭日を使って、スナヤンシティから始まりジャカルタの主要ショッピングモールに交渉し、毎回数名で渡り歩いた。シフトを組みTシャツを着て交代で募金箱を持ち、合計27回⁉️
初日、いつも客として歩いているモールで、「お願いしま〜す!」と声をあげるのは恥ずかしかった。でも、被災地で暮らしている方々のことを考えると、そんなのはすぐに吹っ飛んだ。
日本語・インドネシ語・英語。前を行く人々の顔を見て、言い換える。話しかけてくださる方々もたくさんいた。
インドネシアの方々は2004年のスマトラ沖大地震の時の日本からの応援を思い出し、日本に対するお返しの気持ちを募金箱に託してくれた。優しが心に沁みる時間だった。
ある方は一度募金をしてくださり、今はこれしかないと数時間後銀行からお金を引き出して再び来てくれた。
若い女の子が「明日もやっていますか?」と聞き、次の日またやって来て「嵐のファンクラブです!メンバーたちから寄付を集めて来ました!」と言って封筒を渡してくれた。
J2関連のヤヤサンからも寄付や励ましの寄せ書きなどをいただいた。(後に陸前高田で掲示)
人形劇の活動で幼稚園に訪問した時、募金を集めたと言って貯金箱(にわ鶏の形の瀬戸物)のまま渡されたこともあった。
テレビニュースを見たという人たちから、日本人の礼儀正しさや忍耐力を褒められた。インドネシアに住んでいて、よく「日本人は“discipline”だから見習いたい。」と言われていた。この時も何度もその言葉をかけられた。
その期間、何処へ行くにも折り紙を持ち歩き、暇があればランチのレストランでも車の中でも、家でも夜中まで鶴を折り続けた。そして寄付をいただいた方に折鶴をお礼に渡した。
またジャパンクラブの関係者で写真をしている方がいて、日本で撮った桜の写真を提供してくださった。
私たちはをれをポスターカードにして、折鶴と一緒に寄付のお礼として差し上げた。
メンバーの日本語学科の教え子に印刷会社の社長さんがいて、お願いしたらポストカードの印刷を無料でしてくださった。(それ以降もJ2の印刷物で大変お世話にもなりました。)
温かい言葉や気持ちそして募金に、何度も涙がこぼれ落ちた。
世界中が日本を応援していた。災害はあっては困るものだけれど、皆んなの応援は嬉しかった!これを絶対、日本へ届けなくちゃ!と感じた。
いただいた募金は施設への牛乳の寄付から始まり、福島での放射能線量計となり、障害者施設の車椅子用スロープ、陸前高田の施設のコミュニティ用プレハブにもなった。最終的に500万円近い募金が集まった。
7月、3ヶ月に渡る募金活動を終了し、最後に一番募金が多かったモールでお礼の七夕イベントを行った。
日本を象徴する文化の紹介、茶道・着物の着付け・書道・折り紙のパフォーマンスや体験。
インドネシアの方々は日本を好きな方がたくさんいて、本当に関心の高さを感じる。
丁度その頃、24時間テレビの取材陣が到着しイベントを見学に来てくれた。そしてイベントの直後撮影が行われ、その年の8月、24時間テレビでJ2netの活動が放映された。
2011年10月私たちは陸前高田を訪れた。被災地の様子は衝撃的だった。正直、恐ろしさを感じた。
関連の施設などを訪ね、出来上がったプレバプ小屋”和みホーム”も見学した。インドネシアでの27日間の成果だった。
最終日には同行した息子と一緒に瓦礫が残る民家の畑で瓦礫を集める作業に参加した。すでにだいぶ綺きれいに整地された様に見える土でも、掘るとガラスの破片やら細かい瓦礫が出て来る。1日作業してもバケツに数杯。気の遠くなる作業が続いていることを身に沁みて感じた。
当時、ジャカルタではビビット文庫という文庫を設置する活動も行っていた。設置場所への図書を寄付するため年に何度も本屋さんを訪れていた。その中で見つけた本で、“Kiamat sudah lewat!”と言う本を見つけ文庫に入れていた。その本を日本で活動するメンバーたちにも見せたところ、是非日本語に訳して紹介したい!と翻訳の希望があった。アメリカのNGOが出版したスマトラ島の北端、アチェで津波の被害にあった子どもたちの手記だった。インドネシアにあるNGOの支部に許可を申請し、日本語への翻訳を日本の翻訳グループが行い、印刷はジャカルタで行った。
邦題「奇跡は過ぎ去った」は日本とインドネシの関連団体などに配布し、またグローバルフェスタなど両国で販売も行った。
J2netはインドネシアに住む日本人から始まり、インドネシアと日本を繋ぐ小さいけれど架け橋のひとつとして活動して来ました。”Goton royon” 「助け合い」想い合う気持ちが、小さな橋を今も行き来しています。
2021年3月11日 10年目のこの日を静かに祈りの日としたいと思います。

2021.03.05

J2netが見てきたインドネシアの図書事情23年

 <J2netが見て来たインドネシア図書事情23年>

◆はじまり
1998年5月インドネシアではクーデターによる暴動が起きました。
それまでの政権はスハルト大統領によって治められ、独裁的な政治を30年余り続けてきました。自由な発言は規制され出版物も検閲を受け、政府に異議を申し立てる者は捕らえられました。ジャカルタで知り合ったストリートチルドレンを支援するヤヤサンスタッフの一人も捕まった事があると話してくれました。
私たちがジャカルタでJ2netを立ち上げた1999年頃は、まだその名残りもあり本屋さんに並ぶ本は限られたものでした。その状態を見て私たちも子どもたちに本を読んでもらいたいと、日本の古本を翻訳して寄付する活動を始めとし、様々な形で子どもたちへ本を届け始めました。
◆当時のインドネシアの状況
学校へ訪問した時は、必ず図書室を見せてもらいました。最初の頃はひどい状態でした。たいていの学校の図書室が埃だらけで、棚に置いてあるのは使い古した教科書やドリルの様なものばかり。教科書がひとり一冊とは限らなかったのです。どこを探しても図鑑や絵本・物語などの読み物は無く、学校の先生は図書室と呼びますが、本の倉庫のようでした。
本屋さんに児童書は少なく、あっても外国からの英語の本やインドネシア語訳文と並列の絵本。しかも高価です。公営の図書館もありましたが、日本に比べれば遥かに少なく誰もが利用できる訳ではありませんでした。政府は読書活動を推進する事は無く、国民も読書への意識が薄くなっていました。
そして大きな問題として、経済格差があります。多くの人たちが本の大事さを知る事も無く、またたとえ知っていて本屋さんに本が並んでいたとしても、買うのは難しい状況の家庭が多かったのです。
私はインドネシアの読書を推進する団体に加わり、おはなしや本の普及活動に参加しました。
そのグループでは、長期入院している貧しい家庭の子どもたちの病棟へ2週間に一度訪問し、お話や読み聞かせをしていました。
ある日、絵本の読み聞かせをした時、患者のお母さんから「その本はどこで売っているのですか?」と聞かれました。私はびっくりしました。現地で買った小さくて薄くて安い本だったのですが、ここにいるお母さんたちは本がどこで売っているのかも知らなかったのです。たとえ本屋を知っていたとしても、私たちにとっては安い本でも、このお母さんには買えなかったのかもしれません。
◆がんばる現地の人々
私が加わっていた団体の主宰者はインドネシアでも児童図書の第一任者と言われていた方で、選りすぐりのインドネシア民話本を何冊も製作しセットにして各地の学校へ寄付したり、バイク図書館の寄贈など図書推進の活動を行なっていました。その団体に関わる方で自宅の一部を図書室として開放している人がおり、訪問した際子どもたちがたくさん来て本を読んだり宿題をしたりしている姿は、素晴らしい光景でした。
また、インドネシア大学で教授をしていた方が引退され、お住いの地域の一軒家を借り図書館活動をしていました。J2もこちらの図書館とは様々な形で相互協力を行なっていました。
モスクを管理する方が、その横に小さな部屋を建て壁に本棚を作り、貸出までしていた民間の図書館もありました。
ユニークな移動図書館として、馬の世話をしている農村地区のスリルおじさんが、2015年頃から空いている時間を使って馬の背の両側に木箱を背負わせ、子どもたちの学校や村を廻る活動を始めました。その頃は、政府も図書推進に力を入れ始めており、寄付のために古本を送る際の送料を無料化したりしていました。おじさんの馬の移動図書館が有名になり、大統領にお呼ばれしたとのことです。NHKのドキュメント番組で放映されました。
これらの方達のように、ご自身が本の大切さを認識された知識人の方々、町の有識者などが独自で小さくても図書館を作り、地域の子どもたちや住民のために図書館を作り開放しています。
ある意味インドネシアでは政府より、「なんとかしなくちゃ!」と思ういろんな立場の人々が大小様々な図書館(taman baca)を作り上げて来たのかもしれません。
◆“ Taman Baca (読書の広場)”
街の小さな図書館の事です。
Taman は公園や広場、Baca は読む。
Taman Baca Anak 子ども(anak)を付けると子どもの図書館。
Taman Baca Masyarakat 市民 (Masyarakat)を付けると住民たちの図書館。
最近では、J2も関わっているスリブサトブク(1001buku)のようなボランテイアの図書支援団体も増えており、古本・寄付本を集めて各地の市民図書館へ送っている団体もあります。
現在ジャカルタでは翻訳活動はしていませんが、J2ネットジャパンでは翻訳絵本、さらに翻訳本増刷活動を続けており、日本からそのような団体を通して、Taman Baca Anakへ本を届け始めています。
J2netジャカルタでは、Bibit文庫という名でいくつかの学校や個人のお宅に文庫を設置しました。さらにバイク移動図書館を作り、プンチャックの農村地域に贈りました。J2netが開催したセミナーに図書関係者を招待したり、また外部セミナーに参加した際には、遠くカリマンタンの図書館運営者からも、本を届けて欲しいと依頼されました。
J2netが絵本のセミナーを開いた時、参加された出版社の方から意見を求められたこともありました。突撃訪問で、出版社に「こんな本を作り続けて欲しい!」と掛け合ったこともあります。
◆これからのインドネシア図書の未来は?
インドネシアも政府のトップが変わっていく事により、学校の図書室も少しずつではありますが変わってきました。最近では小学校にも司書が配置され、子どもたちへの読書推進に努めているようです。
政治や経済が安定してくると、本屋さんも良い本を出版してくれるようになったのですが、どんどん売れる本ばかりに偏る傾向があり、私たちが求める本が数ヶ月後にはもうブックフェアなどで安売りされているような状況もあります。
2017年国立図書館が移転し、新しく建てられたビルは地下3階、地上24階建ての世界一高い国立図書館となりました。ロビーホールは4階までの吹き抜け。4階まで続く高さの本棚は圧巻でした。
11月オープニングのこけら落としイベントがあり、J2net人形劇グループも呼ばれ参加したのですが、ロビーホールと児童図書室で人形劇を行い子どもたちや保護者、図書館員などからも喜ばれました。
J2netの活動と一緒にインドネシアの発展を見つめてきました。
でも、発展だけではなく発展できない部分、間違った発展も同時に見てきました。私たちの力では動かないものばかりですが、私たちでなければできないこともあるはずです。
これからも、インドネシアの子どもたちの楽しみのひとつとして本に親しんでもらうためにも、インドネシアでは買えない本を送り続けられたら嬉しいです!
◆日本でも
コロナ禍中において、今まで外で仕事をしていた親が、子どもたちとのおうち時間を飽きさせずに過ごすにはどうすれば良いかと思案してか、最近絵本が見直され売上が伸びているそうです。子どもたちは本に興味がわけば、本当に時間を忘れて夢中になります。本に夢中になる事で、私たちは様々なことを身に付けることが出来ます。
素晴らしい教えや気づきを与えてくれ、楽しみでもあり、人間を豊かに育むツールなのだと思います。
(Hori)

2021.02.23

絵本グループガドガドより近況報告

 《J2netジャパン・絵本グループgado-gadoより近況報告》

三井住友海上火災保険株式会社様から「年一社会貢献活動」を通じて翻訳絵本作成にご支援いただいており、
今回、同社京都自動車営業部様からご協力いただきました。
今までは同社の熱帯雨林再生プロジェクト実施地域付近の学校に直接ご持参、
ご寄贈いただいていましたが、コロナ禍の中、現地に赴くことができないので、
J2ネットを通じた寄付という形がとられました。
10月終わりにお申し込みがあり20名ほどの方がご参加、
予算もお聞きしながら調整いたしました。
こちらから絵本を選んでご購入をお願いし、12月初めに絵本キットをお送りし、
半月で貼り付け完成。
帝人様のブック・ドリーム・プロジェクトでは長年行われていますが、
同社では初めての試みとして、直接インドネシアへ送付いただくことになりました。
できあがった絵本は12月末に先方よりJ2netジャカルタ絵本グループの山﨑くるみさん宅に発送いただき、
1月13日にジャカルタに無事到着しました。
同グループが実施する「くりりん文庫」も「ビビット文庫」も現在コロナで活動休止中のため、
くるみさんのご近所の幼稚園で絵本が欲しいとの声があるとのことで、
ぜひそちらで活用していただこうということになりました。
写真は本をお渡しした際のものです。
絵がきれいで装丁もしっかりしているととても喜んでもらえ、
早速来週から子供たちに紹介してくださるそうです。
2~6歳くらいの子供たちで、もう絵本を読める子供もいるそうです。
今はコロナなので一回5人くらいに絞って文庫を開いているそうです。
とてもうれしいことです。
コロナ禍の中、直接は訪問できないけれど、なにか応援、支援できないか、
という動きが広がっていると感じています。
翻訳絵本作成の協力先、協力していただく方法、でき上った絵本の寄贈先などなど、
今gado-gadoの中でzoomミーティングで活発な話し合いが行われています。

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