ニュースレター
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2015.12.26
カンポンに風通しの良い建物をそして移動図書館を!
高級住宅地メンテンから歩いて10分たらずのジャカルタのど真ん中に、ホテルや病院といった大型施設に囲まれるようにして、カンポンチキニはあります。私たち、千葉大学建築学科の学生は、そんなカンポンチキニに住み込みながら、東京大学岡部明子教授の指導のもと、研究や建物を造る活動を行っています。
ジャカルタにはカンポンと呼ばれる、都市計画から外れたインフォーマルな居住区が数多く存在します。カンポンは、インフォーマル故のその居住環境の悪さから、近年では、カンポン対策として、クリアランスによる住民の立ち退きが余儀なくされています。一方、地球規模で考えてみると、カンポン内における生活は環境への負荷が低いこと、また都市中心部のカンポンは、都心で働きたいインフォーマルセクターの受け皿になっていることなど、都市の中で重要な役割を担っています。私たちは、カンポンに住みながら、住民の方々と一緒になって建物を造ることで、いかにカンポンを残しながら住環境を良くしていくかということについて研究を行っています。
■After Fire Project(ハウジングモデル・Rumah Pintarの建設)
2013年、元千葉大学(現東京大学)岡部明子研究室とインドネシア大学の共同で、子どもの勉強場所が無いという住民からの要望に応え、チキニに通風採光に優れた図書館を建設するプロジェクトが始まりました。最初はデポックのアパートに住んでおり、チキニに毎日通っていましたが、もっと住民とのコミュニケーションをとれるようにと、住み込みを始めました。住み込む前は、気難しく全く意見を聞いてくれなかった大工さんも、住み始めて、次第に私たちの意見も尊重してくれるようになり、プロジェクトが進み始めました。
施工現場は、借りているコスから、徒歩10秒。毎日施工に参加しました。設計はしたものの、建築学生でありながら、のこぎりやトンカチの使い方すら知らない私たちは、コンクリートを手で練るところから、建物のつくり方を一から大工さんから学びました。建材が捨てられてしまったり、いろいろとハプニングはありましたが、無事完成を迎えることが出来ました。建物のオープニングセレモニーでは、日本からお茶の先生をお招きし、造った建物(Rumah Pintar)の中で、お茶会を開きました。J2net代表の山崎くるみさんが、お茶会のお手伝いとして来てくださり、そこで知り合いました。
■Rumah Pintarでの移動図書館
せっかく図書館として建てたRumah Pintarですが、土地をめぐるコミュニティ内のグループ同士の争いに巻き込まれ、しばらく使われない状態が続きました。鍵が壊され、すぐにゴミや落書きで荒らされてしまいました。その状況をたまたま通り過ぎざまに見たご主人から聞いた、J2NETの山崎さんから、「Rumah Pintarで移動図書館の活動をやってみないか」という提案を頂きました。コミュニティとミーティングを何度も行い、2014年10月から、毎週、Rumah Pintarで移動図書館を行うこととなりました。
移動図書館を始めたばかりのころは、活動の前に私たちが一週間の汚れを掃除しなくてはなりませんでした。しかし、活動を続けているうちに、当初は読書ということに興味を示さなかった大人たちが次第に子どもの様子を見にくるようになりました。また荒れ果てていたRumah Pintarは住民によって掃除されるようになり、鍵も新しくなり、壁もペンキで塗り直され、住民の手だけで管理されるようになりました。
■活動の広がり
活動の継続により、少しずつですが、住民の生活の中に私たちの活動の成果も芽生え始めています。しかし、持続可能な社会に向けた提案としては、部分的な提案を住民に対して行うだけでは不十分。社会に対してどうアプローチをしていくかが重要となります。
期せずして、2015年の10月に国連ハビタットのアジア会合がジャカルタであり、それにご出席なさった国土交通省、JICA、福岡市都市計画局等の方々をチキニにお呼びすることが出来ました。当日は、私たちのプロジェクトで建設したRumah Pintarや共同トイレなどを見て頂きました。また、J2NETやインドネシア大学にお力添えを頂き、紙芝居の読み聞かせを披露しました。見学してくださった方々からは、ご好評頂き、今後のプロジェクトの発展のためにも重要な機会となりました。
最後に、カンポンでの生活でもっとも実感するのは、暮らすということが本来持つ能動性です。チキニに暮らす人々は自分の家から下水がどのように流れているかを知っているし、道ががたつき始めると、余ったコンクリートで舗装し直します。建物がただあれば良いというわけではなく、常にそこには人々の活動が存在します。自分たちの暮らす場所は自分たちで良くするという、日本の生活の中ではなかなか気が付くことが出来なかったことを、気が付かせてくれたように思います。(澤井源太)
Facebookページ:After Fire Projectで出てきます。
https://www.facebook.com/Megacity.Design.Labratory/?ref=aymt_homepage_panel
お問い合わせ:hiranoakira87@gmail.com (担当:平野陽)
2015.10.22
メンバー募集しています!
あなたも手をつないでみませんか?
なんだろう?私たちにできること
J2net(じゃかるた・じゃぱん・ネットワーク)は1999年10月に発足し、インドネシアで10年以上に渡って活動を行っているボランティアグループです。メンバーのほとんどが、夫の駐在に伴い帯同家族としてインドネシアでの生活を送っている駐在員の婦人達です。...
縁あってインドネシアに住んでいる私たち。「住まわせてもらっているお返しに、何か私たちにも出来ることがないか」「ひとりでは何も出来なくても、集まればきっと何かが出来るはず」、そんな気持ちを持った人たちが集まり立ち上げました。ジャカルタと日本をつなぐ意味を込めて、「じゃかるた・じゃぱんネットワーク」と名付けました。
J2netには複数のグループがあり、活動はそれぞれ独自に運営されています。グループ単独の活動だけでなく、いくつかのグループがジョイントしての活動もあります。その他にも、バザーの開催・チャリティーイベントへの参加など、さまざまな分野の方達とも相互に協力しながら多様な活動を行っています。
活動を末永く広い範囲で続けていくためには、ひとりでも多くの方のご参加とご協力が何よりも必要になります。
私たちは 「できることをできる範囲で」 をモットーに、自分のできる範囲で、やりたいと思うことや出来ることを、楽しみながら実行しています。現地の人とふれあい、温かな笑顔に出逢えることが、次の活動への原動力です。グループへの参加や見学はいつでも可能です。
ぜひ私達と一緒に手をとりあってみませんか?
2015.08.13
2015年、移動図書館 『くりりん・ぶんこ』 の成長
2014年6月、定期活動を再開した移動図書館活動『くりりん・ぶんこ』。その後の成長についてお話します。
毎週火曜日の午後、絵本、児童書などを詰めたコンテナを持って東JKTマトラマンの集会所を訪れています。参加者は近所の幼児、小学生、中学生、お母さんたちが20~30人ほど。今年から手作りの個人別図書カードを使い始め、発行実績は大人も含め100人近く。本の貸し出しはしていないので、図書カードは出席表の役割を果たしています。
やって来た子どもたちは入口で自分のカードを受け取り、双六盤のようなスタンプ面に毎回スタンプを押して、5回・10回といった節目には好きなシールを選んで貼ります。25回でゴールですが、皆勤しても半年はかかる計算です。カードの管理や小さな子の世話に中学生たちが手を貸してくれるのも成長のひとつです。
昨年11月から毎週土曜日午前中、中央JKTチキニ市場の奥の集会場にも通い始めました。千葉大とインドネシア大学(UI)の建築学部共同プロジェクトとして建てたRumah Pintar(RP)。しかし建てただけでは宝の持ち腐れ。縁あって『くりりん・ぶんこ』が最初のコンテンツになりました。通ってくるのは幼児、小学生、お母さんたち、10~20人といったところ。RP建設に関わり、市場の中で下宿している千葉大留学生G君が地域との橋渡しやくりりんの活動前の清掃と準備、片づけを担ってくれていました。その後UI社会学部の教員、学生が環境教育フィールドワークの一環として参加。子どもたちへの読み聞かせはさすがネイティブ、心強い限りです。UIとして他の活動も試みている彼らは自治会との調整に時間を掛けています。
最近のことですが、私たちの要望に応えて留学生G君が中心になり木製のげた箱を作ってくれました。そしたら・・やっぱり!・・どんな小さな子も当たり前のようにサンダルを納めて上がってくるのです。これが一番の成長ポイントでしょうか。
さらに新しい波のご紹介。土曜日の活動に若い日本人駐在者が参加希望をしてくれています。また横浜でJ2netじゃぱんに出会ったインドネシア人イブが火曜と土曜、6月から活動に参加しています。読み聞かせはもちろんBaguuus!
成長する『くりりん・ぶんこ』に皆さま、乞うご期待です。
2015.06.16
工作隊 おにぎり 活動報告
工作隊おにぎりは、主に施設・学校・貧困地区などに出かけ、廃材または寄付された物を利用し子どもたちと工作をしたり、ボールや縄跳びを使っておもいっきり一緒に汗を流して遊びます!
一度訪問した先では、“次、いつ来るの?”と声がかかるほどたくさんの子どもたちが待ってくれています。色々な状況を抱えた子どもたちですが、共に遊んでいるときは笑顔で、明るく、元気な姿を見せてくれます。そんな姿が少しでも見続けられるよ
今回、初訪問の場所は遊べる広場を探すのが難しいほど、密集した家々が立ち並ぶ所でした。
到着すると、この地区に住む子どもたちがドンドン集まってきます。興味津々だけどシャイな子、遠くから見ているだけの子など様々ですが、いざ遊び始めると目をキラキ
度々訪問するKDMの子どもたちは外で遊ぶことが大好きです!特にボールや大縄跳びを始めるとみんな夢中に。今回はみんなでトイレットペーパーの芯を使ってロケット作り。想像豊かな子どもたちのロケットはカラフルで個性的。自分の顔、くま、蝶々、イカなど様々。自分で作ったロケットで天井高く飛ばして遊びます。ココKDMには親のいない子、経済的に学校に行けなかった子、親の代わりに道端で働いていた子など、色々な事情でKDMにたどり着いた約75名の子どもたちがこの施設で共同生活しています。各国の寄付から成り立つこの施設には学校、食堂、部屋、職業訓練施設などがあり、将来子どもたちが自立できるような取り組みが行われています。ボランティアによる英語や感情を表現するクラスなどもあります。KDMの子どもたちはいつも明るく元気いっぱい、そして甘えん坊。子どもたちにたくさん甘えてもらえるよう、工作を通じて子どもたちと一緒に楽しんでいます!
2015.04.25
ワークショップ『遊びは学び』開催しました
前号でもご紹介した砂場のあるアルファティ幼稚園にて、J2net主催による先生の為のワークショップ『遊びは学び』を行いました。
インドネシアでは幼稚園教諭の教育システムがまだまだ十分とはいえず、先生方も日々不安を抱えながら子どもたちに接しています。砂場の導入にあたって、幼稚園の先生や関係者と関わる中、日本の幼児教育の方が発達しているだろう、どんな事をしているのか?今の私たち は正しいのか?等々の声が方々からたくさん聞こえてきました。幸いな事に、J2netには日本で幼稚園教諭の経験のあるメンバーがおり、彼女が先頭になって、アルファティ幼稚園近隣の幼稚園教諭40名を対象に盛況なワークショップを開催する事になりました。
ワークショップの内容です。前半は先生方の現在の指導内容をマインドマップでまとめてもらい、その後日本の保育の様子をビデオで見ながら、わずかですが現状を見てもらう。後半は折り紙や新聞ボールのヨーヨーなどを実際に作ってもらい、体験しながら笑いも満載のワークショップとなりました。
印象深かったお話をひとつ。「逃げたライオンを檻に入れるため、紙を貼って閉じ込める」事になりました。縦にきちんと並べて貼って檻を作った子と、ライオンの顔の上にぐちゃぐちゃに紙を貼って顔をふさいだ子、先生はこれをどう判断すれば良いでしょうか。
私が先生ならば、まっすぐに貼った方が正しいと言うでしょう。インドネシアの先生たちもこのまっすぐの線の絵が正しいと言いました。でもこの場合どちらとも正しいのです。まっすぐでも斜めでもグチャグチャでも、一番大切なのは想像力を使う事だと。
大人の思考や現実の正しさよりも、この時期の子どもには子ども自身の想像力や感性を大事にしなければいけないのです。
インドネシアの幼稚園では、小学校に上がる前の予備教育として、読み書きそろばんを教える事が一般的で、また親御さんからも強く求められるそうです。なので先生は1+1=2を、線はまっすぐに書けるように、字はきれいに書く事を子どもたちに教えようとします。でも子どもは面白くなければ飽きてしまいます。イヤイヤやるから出来ない、自分はできないのだ、と気持ちが折れてしまいます。そこで大切なのは今回のテーマである『遊びは学び』なのです。折り紙やヨーヨーを作る事は単純ですがとても楽しいです。
この楽しかったという感覚と達成感。人間が生きていく上で一番大切な生きていくための原動力だと思います。練習帳に何度数字を書いても覚えられないのなら、新聞ボールを使って転がしながら、投げながら覚えればいい。心と体をつかって想像力と刺激を与える事、遊びながら学ぶ事によって子どもたちはどんどんと良質な栄養を吸収していきます。
今回のセミナーで先生たちがどのように受け取ったか、翌日からすぐ実践できるか、それはわかりません。伝えたかった事は”ただ遊んでいるだけに見えることもすべては子どもたちにとって意味のあること”なのだと、先生方に自信を持ってもらいたい。そして子どもたちの可能性を信じてたくさんの良い遊びを与えてあげて欲しいということです。いつの日か、あの時言ってた事はこうゆう事か〜と思ってもらえたら嬉しいですね。
2015.02.27
インドネシアの幼稚園に砂場を!
日本では、幼稚園や公園に砂場がある光景は当たり前ですが、ここインドネシアには砂場の文化がないのでほとんどの幼稚園や公園には砂場がありません。
他国の経営や、海外のプログラムやカリキュラムを基にしている幼稚園には、砂場が設置されている幼稚園もあります。
また、友人の施設で個人的に砂場を設置していたのを見たこともあります。
また日本では当たり前・・・と最初に書きましたが、日本でも最近では衛生面・安全面の問題で砂場を設置していない幼稚園や公園が増えていると聞きます。とても、残念なことです。
というのは、私自身砂場の効用とでもいえる、子どもたちが育って行く過程での大事な要素を育てる力を備えている遊具の一つと感じていたので、どの子どもにもその砂場で遊べる年代の間に、思う存分砂場での遊びを体験して成長して行ってほしいと願っているからです。
私自身子育ての時期を終わってすでに長い年月が過ぎてしまいましたが、J2netの活動を通してインドネシアの子どもたちと関わるようになり、あらためて子どもについて、そして当たり前のことですが子どもを育てる事の大事さや、子どもを育てて行く上で子どもに与えたい良い図書や遊具、道具や教材に関心を持つようになりました。
インドネシアの子どもたちもきっと砂場で遊んだら楽しんでくれるだろうと思い、どうすれば良いかを模索しておりました。
そんな矢先J2netが設立された当初から関わりのあったNGO アウリアの中心的存在だったスタッフの一人が、ご主人と協力して幼稚園を開園すると聞きました。2012年の事です。
ご主人のご家族の土地だったのか兄弟の家なども周りにあり、環境としては良い場所だったのでしょう。
家の裏に当たる場所に幼稚園は出来ました。
教室が3つ。年代別に3クラス。園庭も段差があるものの、ある程度の広さを持っています。
開園に先立ってオープンハウスにはJ2netメンバーも招待を受け、集まった入園希望の子どもたちと手遊びなどをして遊びました。
開園してからも、人形劇グループの公演などで訪問しています。
そして日本人学校幼稚部に見学の許可をいただき、実際に子どもたちが砂場で遊ぶ姿を見てもらいました。
先生たちは見学の目的だった砂場はもとより、日本の幼稚園を見て私は先生たちからの質問責めにあいました。笑)
おそらくその一回の見学では砂場の意味や効果など迄は、分からなかったのではないかと思いますが、その後ある企業からの支援もあり、砂場をその幼稚園に設置することが決まりました。
砂場を作るノウハウはインターネットや図書からの情報を集め、また帰国の際には幼児教育に関わっている友人を訪ね、砂場の見学やインタビューを行い、砂場設置への準備を進めました。
ジャカルタでは材料を探し回りました。
そうして、今年ようやく念願の砂場第一号が出来上がりました。
子どもたちは最初、何をして良いかわからない感じもありました。なかなか砂に入らない子どももいました。
でも数ヶ月経った今では入れなかったその子どもも、お団子をたくさん作ってお水を汲んで来ては「Aku tukang bakso!」(僕はバッソ屋さん)と言って、おいしい団子スープを作ってくれます。
その向こうでは男の子2人が砂をトラックに乗せては運び土木作業に熱中し、反対側では女の子達がプリンやお団子を作ってお料理に夢中になっています。
まだまだ、先生たちの理解は充分ではないかもしれませんが、ここでの子どもたちの様子を見てそこから学ぶことも大事なことです。それが出来るのも砂場というほどほどに子どもたちを自由に遊ばせて、観察できる場所であるからこそなのではないでしょうか。
そして、早くも嬉しい効果がもうひとつ。多動症の男の子がいて、教室では数分じっとしているのも難しいらしいのですが、砂場に入って夢中になっていると数十分の間出ようとしないそうです。集中しているのですね。
実は「Tukang Bakso」の団子スープ屋さんです。笑)
子どもたちと一緒に先生も私たちもひとつひとつ学びながら、新しい世界を子どもたちのためにさらに広げられたらと思っています。
子どもたちがこの砂場から、自由な子どもになって育って飛び立って行くことを願っています。
そして、この成果が良いものと理解されるようになり、インドネシアにも砂場を増やして行かれたら嬉しいです。
2015.01.03
プンチャックの小学校を訪ねて
2014年9月16日、私たちHulaグループHoaloha Hoku-ke'aは、グループから8人でSDN PUNCAKSIMUN(小学校)を目指しました。PuncakはJakartaに比べると空気も水も澄んでいて、車窓から吹き込む風はさわやかで、気が付くと深呼吸をしていました。Hulaの活動を基盤としたボランティアグループとしてここJakartaに発足して1年半、念願かないJ2Netさんのお導きの元、車で約2時間半揺られ、その小さな農村の子供たちに私たちはHulaを届けることが出来ました。
日頃の活動費から奨学金をこちらの学校へ寄付させていただいておりましたが、いつか直接子供たちの顔を見たい、Hulaを見てもらって、体験してもらって一緒に笑いたいというかねてからの思いがありました。私自身長年Hulaを踊り続けてきた中でHulaには沢山助けられ、歓びをうけ、楽しみ、そして励まされてきました。その思いをなにかこの地
で形にすることが夢でした。
Hulaは伝える踊りです。その優しさや暖かさを感じてほしいと思いましたが、HulaはHawaiiという島々に伝わる踊り、子供たちの何人がそのHawaiiを知っているでしょう? さまざまな不安もありましたが私たちにできるHulaで子供たちにとにかく楽しんでもらえれば、と今回の訪問にグループのメンバーも多く賛同してくれました。今回は平日だという事もあり家の事情などで参加できないメンバーも多くいましたが、グループ皆の思いを参加メンバーが代表して届けることに。
私たちの車が到着すると興味深そうに(不思議そうに?)見つめてくる子供たちの住んだ視線。間もなく私たちの小さなHula Showをスタートしました。恥ずかしそうに見ている子、ステージエリアにかぶりつきで見てくれる子、とにかくそこに居る全員が初めて目にする踊りであったことは確かです。
15分ほどのステージを見てもらった後は体験してもらう時間に。簡単な基本ステップ2つと、子供たちにもわかりやすい、花、海、空、を表現する手の動きを使って、音楽に合わせて子供たちと一緒に踊りました。
そのあとは子供たちが様々な踊りや演武や歌を披露してくれました。子供たちが練習を重ねたであろうそのパフォーマンスの数々はとてもほほえましくそして華やかなものでした。
のどかな農村の日々は、私たちの日常とはかけ離れた環境の中にあります。
子供たちの日々の暮らしの中で、私たちが伺ったその日が少しでも楽しい思い出になり、
刺激になってくれればと思いました。
最後に学校の裏の畑で収穫されたお芋や落花生、トウモロコシなど、(どれもとてもおいしかった!)
私達がHulaを届ける側だったにも関わらず、沢山のものをいただきました。それはお土産だけではなく、子供たちとのふれあいという大切な時間も含めて、です。帰り際に子供たちが一人一人私達の手を取り、額にあてて挨拶をしてくれました。握った小さな手はとても暖かく、そして純粋でした。またこのようにHulaを届けることが出来る日を持てればと、さらに楽しみになりました。
いつか私達がこのインドネシアを離れた後もこの日の事をかならず思い出すでしょう。その時も、ずっと、この日出会った子供たちが笑顔で幸せに暮らしていることを願ってやみません。
このような機会をいただけたことに感謝いたします。
2014.12.31
第9回個人部会フェスティバルに出店 ーzakka pelangi(雑貨プランギ)-
今年も zakka Pelangi(雑貨プランギ)で、ジャパ ンクラブ主催の第9回個人部会フェスティバル に出店しました!!
知覚障害者施設の Nur Abadi が作る zakka Pelangi 定番商品「バティック柄エプロンシリーズ」 「バティック柄タオルシリーズ」、リサイクルのプラ スチックを使用した「リサイクルプラ保冷バック」 などに加え、新商品「バティック柄スタイ」も追加 して、今回のフェスティバルに臨みました。
(J2netの各グループの活動をパネルで行いました。)
昨年のフェスティバルで気になっていた商 品を求めて来てくれたお客様や、早めに購 入しないと売切れになるからと午前中早い 時間に来てくれたお客様など、嬉しい声が多 数聞こえてきました。
おかげさまで今年も、定番商品はほぼ完 売に近い状態で、新商品の「バティック柄ス タイ」も好評でした。また、このフェスティバル 限定メンバー手作りのマフィン・クッキー、ス ーパーボールすくい・ヨーヨー釣りなども大 賑わいで子供から大人まで楽しんでもらえ たかと思います。
お客様から新たな商品のご提案などもあ り、またそれらの声を活かして来年のフェス ティバルに向けて、メンバー一同頑張ってい きたいと思っています。
(定番商品のリサイクルプラスチックを使ったバックなど)
zakka Pelangi では、インドネシアで手仕事応援 プロジェクトを行っています。貧困地区、農村地区 の人々、ストリートチルドレンの子供達に「少しでも 役に立ちたい」という思いで一緒に物作りをしてい ます。また、zakka Pelangi の扱っている商品の 収益金はすべて YAYASAN への支援金、活動 資金などに活用されています。
2014.10.21
Tim Cerita 活動報告 ☆ Di Cirebon
人形劇グループ:Tim Cerita は、8 月に Cirebon へ遠征し公演を行いました。 なぜ Cirebon だったのかというと、その経緯は 2007 年にまで遡ります。
2007年エンダンさんという若者(当時21歳)が漁業研修 生として日本の宮崎に居ました。ある日彼は、海で溺れか け助けを求める中学生に気付き、思わず海に飛び込み何とか助けようとしました。中学生は助かりましたが、エンダンさんは潮に流され命をおとしてしまいました。彼は泳げ なかったそうです。
当時インドネシアに住んでいた日本語教師:井上実由紀さんは、エンダンさんのその勇気ある行動に 心うたれ、“異国で暮らしながらも人を思いやる心を持ち続けた彼の事を忘れないで欲しい”と、ドキュメンタリー自主映画 Mas Endang を制作しました。 そして、その後も多くの人達の支援により、彼の故郷であるチレボンの母校(エンデル小学校)に図書館 が建設されました。今回はその図書館に本を届けに行き、小学 校で人形劇を行う事になったわけです。
公演の前日に小学校に訪れた時も、こどもたちは図書館に集 まってきて元気いっぱいでした。 「明日も来るの?」 「うん、来るよ。」 「何するの?歌うたうの?」 「そうね〜何をするかお楽しみ〜」
先生方には色々とご協力いただくため、当日の流れを細 かくお伝えし、準備万端! そして翌日の公演日。 先生方のご協力により、会場となる教室からは机と椅子 が外に出されており、私たちのセッティングもスムーズ に出来ました。
総勢 120 名ほどのこども達を前に、まずは【Sanba de Sampah】サンバでサンパという人形劇を 行いました。
“ゴミを捨ててばかりいると、ゴミを食べる怪 獣がどんどん大きくなっていくぞ〜!” 怪獣役はパペットではなく、人間が演じ 会場 を走り回ったので、子ども達はビックリやら面 白いやらで大騒ぎ。 最後は、ゴミから作った楽器を紹介し、サンバ のリズムにのって踊ります。 その楽器をみんなで作ってみよう! という流 れです。
人形劇の後は、それぞれ学年ごとに分かれゴミを使って楽器を作りました。 1,2 年生はヤクルトを使ったマラカス。 3,4 年生は牛乳パックを使ったよさこいカスタネット。 5 年生はペットボトルを使った太鼓。 6 年生はペットボトルのフタを使った笛。
ななめにテープを張る、紙を丸める といったような 作業はまだ慣れない様子で、なかなか難しい部分もあっ たようですが、みんな頑張って最後まで自分で作る事が できました。
身近なゴミを使って遊ぶ事ができるんだよ〜。 ゴミのリユースに少しでも興味を持ってもらえたか な??
2014.08.20
雑貨プランギ☆カキリマバザールに出店!
6月18日 J2net 雑貨プランギグループ(手仕事応援グループ)が参加した、カキリマバザールでのお手伝いを初めてしました。現地の方達が主催しゴルフポンドックアパートのホールを使って年2回ほど行われ、多くの日本人客で賑わっっていました。
まず、ジャカルタにこんなにたくさんの若い日本人がいるのかと、びっくりしました。反対にわたくしが年をとったからそういう印象を持つのでしょうか。
二番目に出店の種類です。カキリマというからもっと地元産業的なものが見られるのではないかと期待していたのですが、現代的な雑貨が多くちょっと裏切られた感じもありました。売られている品物のレベルや値段は、お土産店の物と大差ありませんでした。その割に質はどうかな?と、ちょっと懸念がありました。なかにはジャカルタに代理店や販売基点をもっていない業者もいて、クレ-ムはどこにもっていけばいいの?と心配しました。また、内容もロタン以外は、地元産というものが少なくてちょっとがっかり。それでも若い方は、プラスチック製の籠でも買われていくので、わたくしが若かったころの趣味趣向が違ってきているのかな、とも感じました。
グループの一員として 反省する点もいくつかありました。
*品物と数量と値段をきちんと整理し、リストの作成に関しても検討する必要性を感じました。字の大 きさや、記入項目など仕入れ別が良いように感じます。
*品物の内容は基本的には良かったと思います。
*きれいきれい(手の洗浄ジェル入れ)とかリサイクルバッグとが、以外に反響がよかったのでうれしかったです。しかし、中には質を考慮したらいいなあと思うものもありました。でも売れなかったようなので、今後の課題にしたいと思います。
*値段は適切だったと思います。あのようなバザーでは現金買いなので、10万ルピア以下の値段で良かったのではないかと思います。
今回、初めてでしたが楽しみながら、参加させていただきました。
ご来店お買い上げいただいた皆様、ありがとうございました。参加した皆様、ほんとうにご苦労様でした。そしてお疲れ様でした。