合氣道真生会川崎高津道場 活動報告
2024.05.18
昇級式を行いました
2024年5月12日(日)、川崎高津道場の仲間が一級に昇級したため、昇級式を行いました。
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昇級式はいつも通り稽古の後に行い、熊本の本部から送っていただいた証書をお渡しさせていただきました。
既に何度もご紹介させていただいていますが、昇級された方はフラ(ダンス)のプロ講師でその他にも様々な活動を行って地域にも貢献されており、行動力がすごいなー…と常々敬意を感じています。いろいろなことでお忙しいにも関わらず、熱心に稽古に参加してくださってありがたいです。ご昇級おめでとうございます。これからも一緒に稽古していけたら嬉しいです。
…そういえば、「昇級」は今回が最後で、次からは「昇段」ですね。。
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この日の稽古は、いつもの流れで体さばき(徒手、剣杖)、呼吸法を行った後、ここ最近のテーマである「突き」に応じる技で短剣取りや四方投げを行いました。
突きに応じる技は、種類が豊富で護身術としてもイメージしやすいからか、いつもに増して皆さん目を輝かせて熱心に稽古しているように感じられました。まあ、楽しく稽古するのはいいことですよね(^ ^;)。そして「護身術」という観点から考えても、やはり武器を用いた稽古はとても大切だと感じます。実際に凶器を手にした暴漢などに対処することは極めて難しいことだとは思いますが、普段から武器の存在を想定していると、技を行う際の相手との距離感や位置関係、更には武道についての考え方(武道観)にも大きな違いが生まれます。
通常の稽古で対武器技や武器技を行うことは、合氣道と一般的な柔道や空手といった他の武道との大きな違いの一つであると思います。武器武道の代表のように考えられている剣道では体術や徒手対武器、対異種武器などの稽古は行いません。柔道にも空手にも本来は武器に対処する技はたくさんあります。沖縄の古流空手はヌンチャク、トンファ、サイなどによる武器術も多彩です。「素手で行うから空手というのだ」と思い込んでいる方が武道関係者にさえ少なからずいるようですが、それは大きな間違いです。「空手」は、明治初期まで「琉球王国」という外国であった沖縄で発展し、大正期に本州に伝えられ、しばらくは「唐手」とされていたものが100年近く前の昭和初期に表記が変更されたのです。かつて世界屈指の大帝国としてアジアに強大な勢力を誇り、琉球とも関係が深かった中国(※「唐」は中国の古い国名)もアヘン戦争(1840-)や日清戦争(1894-)での敗戦を経て国際的地位が著しく低下しており、日本との関係も複雑になっていたからではないでしょうか(空手への改称の前年に満州事変勃発(1931)、5年後から日中戦争開始(1937-))。いずれにせよ、一般的に柔道でも空手でも「試合」では武器を使わないので、道場、学校の部活動ではほとんど練習されていないでしょう。
武器技、対武器技は、剣槍が身近な存在であったかつての社会では極めて必要性が高く、特に武士たちには必須の技能でした。現代の日本社会の日常とは異なり、江戸時代以前の武士による戦闘では、例え平時であってもほぼ確実に武器が用いられました。長い歴史の中で先人たちが命がけの経験から編み出したものを開祖が学び、生涯を通じて研究し続けた大切な遺産ですから、失われることがないよう、しっかりと受け継いで稽古、研究を続けていく必要があると思っています。
なお、「護身術」というとすぐに格闘術をイメージする方も多いかもしれませんが、「護身」のために戦うより前に行うべきは「危険をなくすこと」、「危険を避けること」、「危険から逃げること」です。実際に格闘術を使用して危険に対処しなければならないような機会は、一生に一度もないことが何より幸せなことです。
とはいえ、いいかげんな練習をしていると、いざという時に役に立たず、悲しい結果になってしまうことになるかもしれません。普段から「危険に備えること」は大切なことです。本当に起こるかはわからなくても、災害に備えてしっかりと水や食料、防災グッズを準備し、防災訓練を行う必要があることと同様に、技の稽古も「危険への備え」という一面があるわけですから、しっかり緊張感を持って行う必要があるでしょう。残念ながら、この世界は「美しき世と 安く和すべし」という開祖の願いには未だほど遠く、至る所で暴力が絶えることがありませんので…。
ただし、合氣道は「=護身術」ではありません。
護身術は合氣道において副次的なもの、ないし一つの途上にあるものであって、それが主たる稽古の目的ではありません。根幹と枝葉を取り違えると、見当はずれの所で右往左往しているうち虚しく年月を過ごしてしまうことになります。合氣道の真の目的は、天地人、即ち全てのものの「和合」です。開祖は「合氣とは、敵と戦い、敵を破る術ではない。世界を和合させ、人類を一家たらしめる道である。」と説かれています。即ち本来の合氣道の稽古とは、「心身一如の和合の修業」なのです。
「戦いを求める心」は合氣道から最も遠く、開祖はそれを厳しく非難しました。開祖は「争う心のある人間は、はじめから負けているのである。」とも説かれています。合氣道を稽古している方々は、日本はもとより世界に何万人といらっしゃるようですが、安直な格闘論にとらわれ、はじめから「敗者」になってしまっている方も少なくないのではないでしょうか?
「合氣道の目的は何か」、「合氣道の稽古とはどうあるべきか」、常にそれを学び、考え、技の在り方、自身の在り方を真摯に見直し続けなければ、何十年と稽古を続けても、合氣道の深奥から遥か遠い上っ面のところでキャンキャン騒いでいただけ…ということになりかねません。
合氣道を極(きわ)める(た)、とか、究極の合氣道…といった言葉を安易に用いる方々もいますが、「合氣道の究極」とは投げ技や極め技(固め技)に熟達するといった些細なことではなく、「世界平和の実現」であると思います。その道のりは果てしなく長く険しいように思われますが、真の合氣道の目標は、同時に世界の永遠の目標でもあるのです。
合氣道真生会川崎高津道場 吉見新
~ おまけ ~
この前、道場に通う際に乗り降りしている溝の口駅の近くに「うさぎ坂」という坂があることを街中の地図で知りました。いや、そんなのかわいすぎでしょ…(←小動物大好き)。今回昇級された方は地元民の上におうちにウサギがいるそうなので(いいなー…)、さすがにご存知でした。行ってみるとそこは両脇に草木の茂った細い道で、実際に昔は野生のウサギがいたのか、「ウサギが通るくらいの細い道」といった理由で名づけられたのでしょうか。。
ピーターラビット大好きです。。
坂の名前もおもしろいものが多いですよね。横浜市内にある「権太坂」という坂(箱根駅伝で有名とか?)は、その昔、旅人に坂の名を尋ねられた近隣の住民が間違って自分の名前を答えたことに由来するそうです。その近くに「焼き餅(もち)坂」というもありますが、別に「嫉妬深い人が住んでいたから」ということではなく、焼いたお餅を売る茶店があったからということです。同じく横浜には「ビヤダル(ビール樽)坂」、東京の恵比寿には「ビール坂」というなんとも素晴らしい名前の坂があって、どちらも近くにビール工場があったことに由来します。東京には「幽霊坂」というのもあるそうですが、そこは絶っっっっっっっ対に行きなくないですね…(‐ ‐ ;)。幽霊に小手返しとか間違いなく効果ないですよね…。
~ おしまい ~