合氣道真生会川崎高津道場 活動報告
2022.03.30
「多数者掛かり」が教えてくれること
「多数者掛かり」とは、相手が複数いる状況を想定した合氣道の稽古法ですが、これは剣道、柔道、空手といった一般の現代武道ではほとんど行われていない特殊な稽古法だと思います。
もっとも、合氣道でも多数者掛かりを頻繁に稽古する道場はかなり少ないかもしれません。演武会で行っている他会派の道場がいくつかありましたが、動きがたどたどしく普段は稽古していないだろうと思われました。
合氣道真生会では毎回の稽古で「多数者掛かり」の体さばきを稽古しています。
方法は数名が周囲から徒手で突いてくるのを次々さばくのが基本形で、応用として両肩取りやそれぞれ短剣、剣、杖を手にした「武器多数者掛かり」などがあります。この稽古法を作り出した先師の多数者掛かりの演武は、60歳を過ぎてもなお風が吹き抜ける様な素早さで、その驚くべき身のこなしは合氣道以外の武道・武術関係者からも広く注目されていました。
冒頭でも書きましたが、「多数者掛かり」の稽古法は現代武道ではほとんど行われていないし、もちろんボクシング、キックボクシング、総合格闘技といった「武器なし・一対一」のルールに基づく格闘スポーツではほぼ練習しないでしょう。
しかし、自分は多数者掛かりの稽古が非常に大事だと感じています。
それは、「多数者掛かり」を経験しているかどうかで武道の概念が大きく変わるからです。
「多数者掛かり」では、一か所にゆっくり留まって技を行っている暇はありません。位置取りにも気を付けないと、相手に囲まれたままでいたらすぐに後ろや横から攻撃されてしまいます。一方向にビシッと構えていたら他の方向は隙だらけです。どっしりと腰を落としていては素早く動くことができませんし、寝技などは文字通り自殺行為です。多数者掛かりを稽古することで、意識の持ち方や体の在り方、技の行い方など、あらゆる面で一対一の稽古だけでは見えないことに気が付かされます。
これは日常生活おける周囲への気配りや所作などにも関わることだと思います。自分は外を歩いる際に、ほとんどの人が周囲をろくに気にせずに行動していて危なっかしいなー・・・と感じることがよくあります。
前近代の社会では、合戦はもちろん、私的な決闘であっても可能な限りの数の仲間と武器を準備するのが当たり前であって卑怯なことではありませんでした。合戦において相手より優れた兵力と兵器を用意するのは戦術の基本中の基本です。200万年以上の人類の歴史において、「一対一」(更には「武器なし」)という戦闘状況はかなり稀有な例であったのではないかと思います。古武術には相手が複数の形や集団戦形式の稽古法も見られます。自分が過去に稽古していた居合(剣術の一種)にも前後、左右、三方、四方に相手がいることを想定した形がありました。
その概念が変化した背景には、近代社会の中で実際の戦闘を意識した「武術」が体育・徳育を主眼とした「武道」に変化したことと、観客が見て楽しむリング上での格闘を目的とした「格闘スポーツ」が隆盛したことが挙げられると思います。
そうした中にあって、合氣道に「多数者掛かり」があるのはなぜでしょうか。
合氣道開祖・植芝盛平翁先生が昭和30年ごろに作成したとされる「合氣道練習上の心得」の中には、「合氣道は 一を以て万に当たるの術なれば 常に前方のみならず 四方八方に対する心掛けを以て 練習することを要す」という一条があります。
開祖は様々な古来の武術を学んだ上で最も自身の理想にかなう武道を創造しようとされていました。そしてそれは、武器技、多数者掛かりも含む非常に多彩で大きな広がりのある武道となったのです。
そして合氣道は和合の武道です。「多数者掛かり」の稽古も「四方八方の敵との戦い」ということではなく、その先にある「周囲の全てと調和し、一体となる」という心身の在り方を育む修業の道程だと思います。中々に難しい道のりですが、仲間たちと一緒にわずかずつでも進んでいけたらいいな・・・と思います。
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~ 追記 ~
うちの近所にちょっとした森林公園があってたまに散歩をしに行くのですが(野リスもいます!)、つい先日、舗装路から外れた藪の中にけもの道みたいになっているところを見つけてなんの気なしに足を踏み入れてみたところ、なぜか「ここで刀を振ってみたい・・・」という衝動に駆られたのです(←こういうのを中二病というのでしょうか?)。
で、古の甲冑武者になったつもりでほんのすこ~しだけエアで刀(あと薙刀と槍も…)を振る所作をしてみたのですが(周りからは見えない場所です!)、四方八方の草むらの中から飛び出してくる幾人とも知れない相手を想像した時、自然と「八相」や「脇構え」という構えを多用している自分に気づきました。「八相」からは前後左右いずれにも対応がし易いですし、「脇構え」は後ろにいるかもしれない相手を切っ先(刀の先端)で牽制できます。
現代の剣道の試合では竹刀を自分の正面に構える「中段」または「正眼」などと呼ばれる構えがほとんどで、「八相」や「脇構え」は全く用いられることがありません。そのため「八相」や「脇構え」は「所詮、非合理的であった昔の人が考えたもので実戦的ではない」と思い込んでいる剣道家、武術家が少なくありません。しかし「中段(正眼)」が実戦的なのは、あくまで相手が正面に一人だけいる道場での稽古や試合の場合だけで、相手が四方八方にいる合戦や集団戦となれば話は全く違うでしょう。道場から離れた場所で考え、試してみることによって改めて気づかされることはとても多いと思います。
ちなみに、この公園の近くには1300年ほどの歴史のある「弘明寺(ぐみょうじ)」というお寺があります。いま大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で活躍中(?)の北条政子様もしばしばお参りしていたそうで、その途上で利用した井戸の跡というのも近所にあります。武道の歴史を考える上で「武士の時代」の確立期である鎌倉時代から学ぶことはたくさんあると思います。
もしかしたら急に刀が振りたくなったのもその地に残された鎌倉武士の魂がそうさせたのかも・・・(^ ^;)
〈 弘明寺観音 〉
〈 北条政子が利用したとされる井戸の跡 〉
~ 近くの川は桜の名所です ~
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~ 更におまけ ~
今年もツクシが豊作(?)でしたー。。
いま、一番好きな食べ物を聞かれたら、
「ツクシ!」と答えるかもしれません…
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合氣道真生会川崎高津道場 吉見新