合氣道真生会川崎高津道場 活動報告
2022.01.15
合気道の「短剣」
剣、杖と並んで合氣道で使用する代表的な武器の一つに「短剣(短刀)」があります。
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合氣道で一般的に使用する短剣(木製)は全長約30cmで、そのうち刃の部分が18~20cmほどです。用途はほとんど「対短剣技」の稽古ですが、演武では「短剣対剣」など自らが短剣を用いる形もあります。現代生活にはなじみの薄い長剣や杖(棒、長柄武器)に比べ、短剣は今も一般人の身近にあるナイフや包丁による凶行への対応術として、合氣道に限らず多くの武道で用いられています。古武術、特に体術系の流派でも短剣(短刀)は広く用いられています。
なお、日本において刀剣類は刃の長さによって30cm以下が短刀(短剣、鎧通しetc)、30~60cmが脇差(小刀、小太刀etc)、60cm以上が刀(大刀、長刀、太刀、打ち刀etc)と分類されています。
江戸時代の武士は「二本差し」と別称されるように二本の刀を携帯することが身分の証しとなっており、その二本とは刀と脇差でした。剣術で脇差は小太刀(こだち)と呼ばれることが多く、長刀術を主体とする流派でも小太刀術を備えている流派が多くあります。諸流派の代表者の合議により大正元年に制定されて現在に伝わる「日本剣道形」も10本のうち3本が小太刀の形です。
〈 江戸時代の武士の姿 〉
一方で鎌倉、室町時代の頃は合戦時も平常時も武士は太刀と短刀(たいてい刃渡り25~30cmのもの)を携帯しており、その形式は江戸時代以降の礼装にも継承されました。元禄14年(1701年)3月14日、江戸城内において浅野内匠頭が吉良上野介に斬りかかった際は礼装であったため、使用されたのは短刀です。そこから「忠臣蔵」で有名な元禄赤穂事件が始まりました。
〈 武士の礼装 〉
短刀は、刀や脇差より短いというだけでなく構造も違っていました。刀や多くの脇差が「鎬造り(しのぎづくり)」と言って両側面に高くなっているラインがあるのに対し、短刀は「平造り(ひらづくり)」と言って側面が平たいものが多いです。つまり短刀は刃の厚みが薄く衝撃に弱いため、硬いものを切ったり相手の刀を受け止めることには適さないということです。主に「突く」か甲冑の装甲や骨のない箇所を切ることを想定して造られたのでしょう。
短刀は脇差より古い時代から用いられていたため、国宝や重要文化財にも登録されている名刀が多くあります。正宗、村正といった名工も短刀を作成しています。拵(こしら)え、即ち外装も美術的に優れたものが多く伝わっています。鎌倉、室町時代の上級武士たちの腰はこのような美しい刀で飾られていたわけですね。
なお、上の短刀の白い柄は鮫(さめ)皮が巻かれたものです。サメといっても厳密にはエイの皮で、東南アジアから輸入されたものが質が高く珍重されました。江戸時代、オランダとの貿易の窓口であった長崎の出島には、この鮫皮だけを取引する専用の部屋がありました。それだけ貴重で重要な品物だったのです。長刀、脇差の柄も下地には鮫皮が巻かれています。
~ うちの近所の川にもよくエイが来ます ~
これもエイですね・・・
いずれにしても、武士は城中や他家の屋敷、料亭や宿舎など屋内に入る場合、長刀は玄関で預けるか所定の刀掛け(壁や台)に掛けてしまうため、最後に手元に残るのは脇差か短刀でした。また、刀とは無縁と思われがちな江戸時代の庶民も護身用(時には装飾用)に一本の刀を携帯することは認められていたので、旅や夜間の外出の際は脇差や短刀を携帯することも多かったようです。
江戸時代の役所の様子 (長崎・出島)
脇差を帯びた旅人の像 (京都)
~ 東海道中膝栗毛の弥次さん、喜多さんです ~
武家の女性は「懐剣(かいけん)」といって短刀を美しい布の袋に入れて帯に挟んでいました。古来日本武術で小太刀術、短刀術が広く普及し、大切に伝えられて来たのはそのように身近、かつ最後に命を託す重要な武器であったからでしょう。
前述のように合氣道で短剣は主に「対短剣技」の稽古で用いられますが、その意味は大きいと思います。それは、素手相手のときに比べて格段に緊張感、危機感が増すからです。特に格闘家や体力に自信のある人は一般人の攻撃なら一発や二発当たっても大丈夫、という油断があるかもしれません。しかし、刃物なら一度刺されれば死んでしまうかもしれません。
合氣道の突きや面打ちは素手の際も相手が常に短剣を持っていることを意識し、取り技でも空いている手か懐に短剣を所持していることを想定することで技に対する考え方が大きく変わります。あまり武器を用いない会派の合気道を見ていると、強く技を行うことにばかりに意識が向いていて、平気で相手のすぐ近くに正対している姿を目にします。もし相手がナイフでも隠し持っていたらどうなるでしょう?他の武道・格闘技を真似して寝技を取り入れている団体もありますが、刃物を隠し持っている相手に寝技を用いることは自殺行為です。増して戦場なら相手は一人ではありません。蹴り技も、特に高い位置への蹴りは動作が大きく体勢も不安定になるので危険です。
古武術は合戦が日常茶飯事であった戦国時代から継承されています。合氣道開祖・植芝盛平翁先生は明治、大正、昭和と近代戦争の時代を生き、ご自身も20歳代で日露戦争(1904~)に兵士として出征し、更に壮年期にも現在のモンゴルを旅する中で戦場さながらの体験をして現代人よりはるかに「本当の危険」を肌で知っていました。短剣、剣、杖といった武器を用いることは、リングの上での試合とは全く違う武道の概念を忘れないためにも大切であると思います。
合氣道は闘争の術ではなく心身を磨き人間としての向上を目指す武道です。しかし、その修業法としての武技が半端なものでは意味がありませんし、残念ながら護身術としての側面もいまだ強く必要とされていますから、先人たちが命がけの経験の中で練成し、合氣道開祖が磨き上げた数々の技を大切に継承し、しっかりと稽古していきたいと思います。
合氣道真生会川崎高津道場 吉見新