合氣道真生会川崎高津道場 活動報告
2021.11.10
武道と舞踊
同じように考えている方は多いかと思いますが、武道と舞踊には様々な面において深いつながりがあるように感じられます。
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世界には実に様々な舞踊があり、優れた舞い手、ダンサーの方々は非常に高い身体能力を有しています。剣、盾、こん棒など武器を使う舞踊も世界中にあり、実に興味深く感じます。
〈 インドの舞踊 〉
〈 中国の舞踊 〉
舞踊にも様々な歴史があり、ブラジル発祥のカポエラなどは奴隷が主人にばれないようにダンスのふりをして武術の鍛錬をしていたものだと言われています。足技を多用するのも手枷(てかせ:手錠のようなもの)をはめられた状態での戦闘を想定しているからだとされています。苦しい奴隷生活の中で人間としての誇りを失わないための修行という面もあったかもしれません。
〈 カポエラ 〉
日本にも古来より雅楽、能、狂言、日本舞踊、神楽、盆踊り・・・と様々な舞踊があります。我々の合氣道にも舞踊もあります。
自分が最近改めて舞踊に興味を持ったのは、おそらく日本の伝統武術にはほぼ残っていないであろう古代の「剣」の操法が古くから伝わる舞踊の中に残されていないか・・・と考えたからです。
「剣」と「刀」は同一視されがちですが、厳密には大きく違います。「剣」は両刃と片刃がありますが、刀身がまっすぐで「突く」ことに適した武器です。対して「刀」(太刀、打刀)は概ね片刃の湾刀(刀身が湾曲した刀)で「切る」ことに適した武器です。古代日本の剣は片手で用いることが多かったようで、その点でも後の刀と大きく違います。武器が異なれば技法や体の使い方も大きく変わります。例えば中国拳法では両者をはっきり区別して修練しています。刀を使う日本の武術と剣を使うフランス発祥のフェンシングでもその技法は大きく異なります
〈 フェンシングと日本の剣術 〉
〈 中国太極拳の剣術 (香港にて) 〉
日本では1000年以上前の平安時代中期から短刀以外は片刃の湾刀のみが用いられるようになり、弥生時代から1000年以上用いられた剣はほぼ姿を消しました。剣術流派が成立し始めるのはそれから400年以上も後の室町時代中期以降のことで、そこに大きな時代の隔たりがあるのです。
〈 8世紀の剣 (片刃の直刀) 〉
〈 平安後期の太刀(たち) 〉
しかし剣の「存在」までが全く忘れられていたかというと必ずしもそうではなく、神仏の図像には歴史を通じて剣が伴なわれています。また製法の面でも、戦国時代から白兵戦の主力兵器となる「槍(やり)」の両刃の穂(槍の先の刃の部分)は短い柄に付け替えればそのまま剣といってもよいような姿でしたので、再現は可能だったと思います。佐分利(さぶり)流の槍の穂などは長さが二尺(約60cm)以上もあり、長剣としても十分な長さです。
〈 不動明王像 〉
さて、日本の舞踊にも武術とつながりが深い物が多くあります。雅楽や神楽では刀や矛を使う演目がたくさんありますし、日本舞踊の一種に刀や扇子を持って舞う「剣舞」というものもあります。「さ~け~は~、のめ~の~め~♪」という素晴らしい歌詞で有名な「黒田節」も剣舞の一つになっています。そういえば自分も若いころに「剣舞」を少しだけ習っていました。あまりに前のことで習っていたことすら忘れがちですが・・・
現在の石川県を領地とした江戸時代の加賀前田家などは、徳川幕府から敵意を疑われることを避けるために藩士たちは表立って武術を稽古することを控え、その代り舞踊の中に剣術や槍術の形を隠して稽古していたそうです。先に挙げたカポエラや薩摩藩の支配により刀剣の携帯を禁止された中で徒手武術やトンファ、ヌンチャクなどの暗器術を発達させた琉球王国の唐手(現在の空手)と通じるのもを感じます。よくも悪くも目立ってしまう江戸時代最大の大名であった加賀藩ゆえの辛さです。現在の東京大学の敷地はかつて加賀藩のお屋敷の一つでしたから、そこでもそうした武術舞踊が舞われていたのかもしれません。
ただ、剣舞はもちろん、より歴史が古い神楽でも使っている刀剣はほとんど「刀」で、演題が例えばスサノオノミコトのヤマタノオロチ退治のような古代の神話であってもその舞踊から「剣」の操法を感じることはできません。やは千年以上に渡って剣が使われなかったことは、武術以外の伝統文化にも大きく影響しているようです。
しかし、ちょっと前にテレビで雅楽を紹介する番組を見ていた時に「あっ」と思うことがありました。それは千年以上昔に大陸から伝わってきた舞踊を起源とする「陵王(りょうおう)」という演目で、右手には「桴(ばち)」という金属製で30cmほどの棒を持ち、左手は人差し指と中指の二本を伸ばした「険印」とう形を作って舞う一人舞いなのですが、その随所に「これは剣の操法では?」と感じさせるところがあったのです。
〈 雅楽 「陵王」 〉
雅楽は1400年以上の歴史があり、古代の中国や東南アジアから伝わってきた演目も多いそうです。1400年前といえば、日本は飛鳥時代で聖徳太子が生きていたころです。その頃はまだ湾刀が生まれていない剣(特に片刃の直刀)の時代で、聖徳太子の佩刀としても二振りの直刀が現代に残されています。合氣道開祖・植芝盛平翁先生は日本古来の神々への信仰が深い方でした。古事記、日本書紀に記される神々の時代は「剣」の時代です。古代日本において剣がどのように用いられたのか、ぜひとも知りたいと思っています。
さらに日本ではなぜ平安時代前期に剣が姿を消してから刀のみがずっと用いられるようになったのでしょうか?湾刀の方が馬上戦闘に有利であること、集団戦の中で多方向への攻防が可能なこと、咄嗟の抜刀に適していることなどが挙げられますが、まだまだ研究が必要です。世界各地では古代から近代まで両刃の剣も使われていました。ところで湾刀といえば日本刀で、それが海外の刀剣と異なる日本刀の特徴である、と言われることがありますが、湾刀は世界中にあったのでそれは大きな勘違いです。剣のイメージが強いヨーロッパでも、特に騎馬兵には湾刀が一般的に用いられていました。
〈 イギリスの騎馬警官 1996年 〉
雅楽でもう一つ興味深かったのが足運びです。時に膝を高く上げ、まずかかとをつけた後につま先をつけながら上体が移動するそれは日本武術の「すり足」に代表される運足とはかなり異なり、むしろ自分が体験した中では太極拳によく似ていると思われました。太極拳の起源は古代中国とされますの雅楽と共通性があってもおかしくはありません。しかしこれは自分的に実に興味深い符合です。
太極拳には自然の氣を体内に取り込むことで心身を高めるという理念があり、合氣道に通じるものがあるように感じます。開祖の言葉の中にも「天の理法を体に移し」あるように、自然の理に即すことは合氣道の極めて重要な要素です。蛇足ながら技法的にも太極拳と合氣道には共通するところがあり、最も一般的に行われている二十四式太極拳の中にも「入身投げ」に近い技の動きが含まれています。
〈 太極拳体験 後ろの上下黒が吉見 〉
もっといろいろな舞踊を見ていけば、更なる気づきがあるかもしれません。興味津々です。今はまだまだ勉強不足ですが、武道を研究していく上で、直接のルーツである古武術だけではなく、様々な方面の歴史や文化から学べることことがたくさんあるのではないかな・・・と自分は考えています。
さて、逆に舞踊が武道・武術から学べることはあるでしょうか?自分は舞踊の専門家ではないのでこれについてあまり語ることはできません。しかし、刀や槍、薙刀などの武器を用いる舞踊であれば、武道・武術の経験によってよりリアリティーのある舞ができるでしょうし、足腰が安定し、肩肘がリラックスして全体としてはより美しい所作ができるようになるかもしれません。
戦前の頃には日本舞踊家の花柳すみ氏が弟子に合氣道開祖植芝盛平先生の指導を受けさせ、自らもよく舞のアドバイスを受けていたと伝えられています。実際に木剣を構える開祖の後ろに和服姿の若い女性がずらりと並んでその姿勢を真似ている写真が残されています。花柳氏は何を求めて開祖の指導を望み、どんな学びを得たのでしょうか。実に興味深いところです。
自分にはハッキリとはわかりませんが、幸いいま川崎高津道場ではフラダンスのプロインストラクターの方が稽古しています。フラダンスは自然の精霊への感謝や敬意を表しているとされ、精神の面でも合氣道との共通性を感じます。この方が稽古していく中でどのようなことを感じられるか、とても楽しみなところです。
勝手に楽しみにされてご本人は迷惑かもしれませんが・・・。
すみません。
〈 女性がフラダンスの先生 〉
合氣道真生会川崎高津道場 吉見新