合氣道真生会川崎高津道場 活動報告

2021.04.10

杖(つえ)と杖(じょう) ~ちょっと見つけたものから  

ついこの前、道場の近く(川崎市高津区)にある歴史資料館にふらりと寄りました。

そこで見つけたのが、江戸時代から続く「大山詣り(おおやままいり)」という巡礼の旅人が使用する杖(つえ)の展示です。

「合氣道の武器技」のページにも記載していますが、江戸時代以前の旅人はよく杖を携行していました。当時の街道は舗装されていない上に主要な街道でも山道が多く、現代の道よりはるかに歩行が困難でした。そのため特に脚力の弱い女性や老人には旅の必需品だったのであろうと思われます。

「合氣道の武器技」→ https://aikidoshinseikai-kawasakitakatu.cloud-line.com/aikidobuki/


〈 中央に大山詣りの杖 〉

〈 江戸時代の旅絵を元にした石畳 三人とも杖を携行 〉

しかし、この大山詣りの杖に特に興味を感じたのは、断面の形状が六角でやや細く感じるものの、長さは約1.3mと、合氣道で用いる杖(じょう)という武道具とほぼ同じ長さだということです。なおこの長さと形状は、四国八十八箇所巡りのお遍路さんの携行する金剛杖(こんごうづえ)もほとんど同じです。あるいは歴史の長さから考えて大山詣りの杖は四国八十八箇所巡りを模して作られたのかもしれません。いずれにせよこの生活道具である杖(つえ)と武器である杖(じょう)がほぼ同じ長さであることには何かのつながりがあるようにも感じます。

〈 合氣道で使う武器 上が杖(じょう) 〉

.3mは杖(つえ)としては少々長く、現代よりかなり小柄であった江戸時代以前の男女がついて歩くと上部がだいぶ余ります(江戸中期の平均身長は男性155cm、女性145cm程度)。実用性や軽量化の観点から言えば、長さは1mほどあれば十分でしょう。ではなぜそんなに長いのかといえば、お遍路さんの金剛杖の場合、この握らない上の部分に戒名や梵語が書かれているからです。また金剛杖の元である錫杖(しゃくじょう:仏僧が携行した杖)がかなり長かったこともその要因であると思われます。

〈 杖(じょう)をつえにすると上部が余ります 〉


〈 錫杖を手にする弘法大師像 〉



古武術に用いる「棒」や「杖(じょう)」の長さに元々決まりや区別はありません。流派によって長さや呼び方は様々で、1.8mの棒を「杖(じょう)」と呼ぶ流派もあります。現代、一般的に合氣道で用いるのは杖道(じょうどう)、即ち神道夢想流杖術で用いるものと同じ四尺二寸一分(約127.5cm)の杖(じょう)です。ただ、武器として考えた時、この長さはやや短く、江戸時代に最も一般的な武器であった刃渡り70cmほどの刀に応戦するにはかなりの実力が求められると思います。もしかしたら江戸時代初期に同流を創始した夢想権之助は、護身用の武器として、いつも身近にあるとは限らない長い棒ではなく、手近にある可能性の高い旅人の杖(つえ)の長さを基準にしたのでは…などと考えたりもします。修験者、山伏とも呼ばれる古来の山岳修行者たちも武術の発展に影響しており、その関連も考えられます。

〈 現代の山伏 ※JRポスター 〉

実際にお遍路さんの金剛杖は野犬やマムシを追い払うための護身具としても活用されたと伝えられています。江戸時代までの街道には山賊、盗賊の類も少なくなかったので、時にはそういった賊にも杖(つえ)で応戦したかもしれません。余談ですが、時代劇の「水戸黄門」ではしばしば黄門様が杖(つえ)でバシバシっと悪党を撃退しており、子供の頃から時代劇好きであった自分は「ご老公様は強いなー」と目を輝かせたものです。

合氣道真生会では、先師が開祖(植芝盛平翁先生)より伝授された杖(じょう)の操法を一つの流れにまとめた「杖(じょう)の形」を稽古していますが、この形も体の横に杖(つえ)を自然に立てたような姿勢から始まります。武器の杖(じょう)と生活道具の杖(つえ)の関係を考えた時に興味深い符合であると感じます。

〈 「杖(じょう)の形」の開始姿勢 〉


合氣道で杖(じょう)を用いるようになった時期や経緯はわかりませんが、昭和6年頃とされる稽古の写真にも既に杖(じょう)が見られます。しかし、杖(じょう)は現在でもそうであるように当時もあまりよく知られる武道具であったとは思われません。開祖が杖道(神道夢想流杖術)を修業したという話も聞いたことがありません。合氣道真生会の杖(じょう)の技は昭和30年代の頃に先師が開祖より伝授されたものが基礎となっていますが、そこには杖道とのつながりはほとんど感じられません。おそらく合氣道の杖(じょう)の技は、開祖が修業した槍術、銃剣術、剣術や演武会などで目にした他流の薙刀術、棒術を元に創意工夫されたものではないかと思われます。

〈 川崎高津道場の杖(じょう)の稽古 〉

〈 「杖(じょう)の形」 〉

開祖が杖(じょう)を用いるようになった経緯には、深い親交があった中山博道先生が剣道の大家であると同時に杖道の師範でもあったことが関係あるかもしれません。あるいは門弟の中で杖道を稽古する人物が使用を提案したのかもしれません杖(じょう)の長さは、開祖が若い頃から得意とし、戦前の頃は稽古でも用いた銃剣術用の木銃の銃床部分(銃の後部:攻撃には用いない)を除いた長さ(1.4m程)に近く、ちょうどよいと思われたかもしれません。戦前の映像や写真を見ていると、現在は杖(じょう)で行う技をほとんど木銃で行っています。

銃剣術は現代ではあまり一般的には稽古されていませんが、兵役制度のあった戦前において、陸軍兵ならほぼ必ず訓練したであろうごくメジャーな武術でした。軍隊の外ではあまり稽古されなかったでしょうが、経験者の数でいえば、剣道・柔道に勝っていたかもしれません(当時まだ空手は日陰の存在でした)。開祖も20~23歳の兵役中に銃剣術を訓練し、教官の代わりに指導するまでに達したとされています。将校を除く大多数の一般兵士は軍刀など携帯していませんでしたから、白兵戦の主力武器は銃剣でした。これは海外の軍隊でも同じことです。ちょうど先日見たドキュメンタリー番組で第一次世界大戦中(1914~1918)のイギリス軍兵士が銃剣の訓練をしている場面がありました。銃剣術及び対銃剣術は当時最も実戦的で必要性の高い武術であったと言えます。

〈 九州にあった道場の武器掛け 上段に木銃がある 〉


一方で、戦前の稽古では槍(やり)も用いられていました。稽古人数に対して十分なスペースがあるとは限らない道場で槍の代わり(槍は3m前後)になる武道具として杖(じょう)を選んだのかもしれません。開祖は槍術(そうじゅつ)も得意とされたと伝えられています。大正15年(1926年:開祖42歳頃)に開祖が門人たちの求めに応じて武道家として初めて上京し、竹下勇氏(海軍大将:開祖の門人)の邸宅で披露した演武は体術でも剣術でもなく槍術でした。その席にいた元総理大臣の山本権兵衛伯爵は「維新以来これほどの名人は見たことがない」と大変感激し、翌日わざわざ開祖の宿泊先を訪ねて今後の支援を約束したと伝えられています。

自分はまだ槍術は体験もしたことがないので、ぜひいつか稽古してみたいものだと思っています。個人的に、白兵戦において槍は人類が生み出した最強の武器であろうと思っています。以前の記事にも書きましたが、槍を連ねて突進してくる戦国の足軽部隊に対しては、現代の自衛隊も各国の特殊部隊も銃火器なしではまるで歯が立たないでしょう。世界トップクラスの格闘家が何人いても全く無意味です。ドジでのろまな自分などきっとすぐにプスっとやられてしまうと思います。本当に合戦のない現代日本に生まれてよかったと思います・・・

最後に開祖と杖(つえ)のつながりを考えると、開祖が生まれ育った和歌山県南部の田辺の地は、古来より続く熊野信仰と縁の深い土地です。いまちょうど「熊野古道」という本を読んでいるのですが、平安時代から熊野三山を巡礼した歴史上の人々の旅程を見ると、「田辺(部)」の地名が頻繁に出てきます。幼少の頃より信仰心が篤かったと伝えられる開祖の目に、ひたすらに神仏の加護を求め、あるいは親しい人の供養のため、杖をついて険しい道を歩く巡礼者の姿は強く焼きついていたかもしれません。開祖自身も青年期から壮年期にかけて行脚修業を行っていた時期があり、まだ武道家として上京する前の40歳頃(大正13年前後)の写真として、編笠、羽織、伊賀袴という旅姿の右手には杖(つえ)が見られます。老境の開祖の写真や映像の中には、杖(じょう)を手に神前に祈りや舞(まい)を捧げられている姿がよく見られます。巡礼者や修験者たちにとっての杖(つえ)がそうであるように、開祖にとって杖(じょう)は信仰の道具でもあったのでしょう。

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百人一首の選者である藤原定家も1201年、後鳥羽上皇の熊野詣でに随行し、行き、帰りのどちらでも開祖の故郷である田辺に宿泊したそうです。

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【おまけ】

4/8は仏様のお誕生日でした。これは「花御堂(はなみどう)」です。


花御堂の中は生まれた時の仏様の像です。


この「弘明寺観音」は奈良時代に創建された横浜市内最古のお寺です。

坂東三十三所巡りの巡礼地なので、ここにも杖をついた旅人が訪れたことでしょう。


合氣道真生会川崎高津道場 吉見新

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