合氣道真生会川崎高津道場 活動報告
2020.12.14
合気道とは何か
よくネット上で合氣道(合気道)とはなにか?ということを語っている人がいますね。
注)画面上に表示される企業・商品広告は、当道場とは一切関係ありません。 →お知らせ記事
いつも気になるのは、そういう人たちのほとんどがおそらく合氣道開祖植芝盛平翁先生(以後「開祖」と記載)の伝記も先達の著書の一冊も読まず、自分の所属する道場での稽古と、せいぜいネットで有名な先生の動画を見た程度で合氣道を語っていると思われることです。
つまり、自宅の近所にある蕎麦(そば)屋さんしか知らず、当然蕎麦の製法や歴史、文化を研究することもなしに「蕎麦とはなにか!」をご大層に論じているのです。
今から2500年ほども前の孔子(儒学開祖)の教えに「学びて思わざるは即ちくらし、思いて学ばざるは即ちあやうし」というものがありますが、正に自分勝手に思っているだけで学んでいないのです。そういう人の言葉をまじめに聞く意味があるのでしょうか?いかにも素人受けしそうなおもしろい話だとしても、中身はありません。
さて、合氣道とはなんでしょうか?これについては他でもない、開祖ご本人が何度も語っています。端的なものとしては、「合氣道は、天地人、和合の道と理なり」という言葉があり、道歌には「合氣にて、よろず力を働かし、美わしき世と、安く和すべし」とあります。では「合氣」とは何か?と言えば、これも「合氣とは、愛なり」とはっきり言われています。即ち合氣道は、人と人、人と天地、即ち大自然を結ぶ愛の武道、和合の武道なのです。
〈 合氣道開祖 植芝盛平翁先生 (岩間) 〉
合氣道の技がなぜ腕力を使わないのか、なぜ円運動で受け流すのか、なぜ殴ったり蹴ったりして簡単に相手を倒さないのか、そのあたりが一般の人々が理解しにくいところでしょうが、全てはこの愛の精神、和合の精神に基づいているからです。開祖の言葉の中に「敵をして、戦う心なからしむ、否、敵そのものをなくする絶対的自己完成の道なり」という一節があります。即ち、「敵の力に勝って戦う心をくじくのではない、己の中の敵対しようとする心、争う心をなくしていく道なのだ」ということです。またその言葉の前後には「天地の心を以て我が心とし」「天の理法を体に移し」という一節があります。合氣道の技は敵を倒すための技ではなく、争わない心を養い、自然のあり方と自身とを一体にしていく修業のための技なのです。だから力をぶつけず、相手を傷つけることもしないのです。
逆に言えば、相手を敵と認識し、傷つけることを目的にした格闘技は合氣道ではないのです。「格闘」を求めるなら合氣道以外のことをやるべきでしょう。「ケンカ十段」などという言葉がありますが(十段は諸武道の最高位)、ケンカを求める限り合氣道では永久に白帯以下です。ろくに研究せずに「合気道を実戦的に・・・」とか言って試合をやったり、他の格闘技を混ぜてさも合氣道を進化させていると思い込んでいるいる人が世の中けっこう多いですが、それは合氣道を本来の道から外し何かわからない格闘術にしようとしているだけなのです。だったらはじめから別の格闘技を習った方が近道です。
よく「どうしたら合氣道が上達するか」ということを語っている人もいますが、ほとんどが姿勢がどうとか動きがどうとかこの技はこうすれば効くとか場当たりの表面的なことばかりで、最も根本的な開祖の教えを学ぶことを失念しています。根本を知らないのでいつも表面に現れた一つ一つの事象に振り回されて右往左往しているだけなのです。麓に転がっている小石ばかりを見て山岳を描こうとしているようなものです。合氣道がなんのための武道か、開祖の教えを学び、その目的を理解すればおのずと合氣道の真の在り方は見えてきます。
稽古をはじめて間もない方が「合氣道とは何か?」と悩むの致し方ないことだし、その答えの探し方もなかなかわからないと思います。悩むことはよいことです。そうして研究を重ねて答えを探し求めることが大事です。そして指導員クラスの人間は、そういった後輩の疑問に対し、研究の裏付けのない薄っぺらな答えを出して、間違った方向に導かぬよう、責任感を持って日頃から研鑽を積む義務があるのではないでしょうか?
開祖、植芝盛平翁先生は明治16年(1883年)に生まれ、青年期より様々な流派の柔術、剣術、槍術などの武術を学び、その修業の中で「武の根源は万有愛護の精神である」という思想に到達し、旧来の武術観を離れて自らの理想とする武道を追い求め、それが合氣道となりました。開祖の生きた時代の日本は日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、日中戦争、太平洋戦争という戦争に次ぐ戦争の時代でした。日本が終戦を迎えた後も、隣国では朝鮮戦争、ベトナム戦争が勃発し、多くの命が失われました。ご自身も日露戦争真っ只中での兵役経験があり、戦争の惨劇を身近に見続けた開祖は、平和がどれだけ大切なものか現代人には計り知れないほどに強く感じていたのではなかと思います。
現在、合氣道を稽古する多くの人たちにとって、既に開祖は縁遠く実在感の薄い存在だと思います。しかし自分は幸いにして開祖の直弟子であった高名な師範のご指導を受けることができ、稽古の外でも開祖の教えや逸話を色々聞かせていただきました。開祖は人格においても力量においても本当に偉大な武道家だったそうです。
我々の合氣道真生会では、開祖の言葉である「合氣道の精神」と道歌を毎回稽古のはじめに奉読し、その心に従って本当に腕力を使わず、自分にも相手にも無理のない技を探求しています。
自分自身はまだまだ本当に未熟で、開祖や先師が求めた真の合氣道への道のりは千里、万里のかなたですが、せめてその道筋からは外れないよう日々研鑽に努めたいと思います。
~ 2020年12月14日 合氣道開祖・植芝盛平翁先生のご生誕日に ~
合氣道真生会川崎高津道場 吉見新
関連ページ:「合氣道とは」(合氣道真生会川崎高津道場HP内) → https://aikidoshinseikai-kawasakitakatu.cloud-line.com/aikido2/